二人の間に沈黙の天使が舞い降りる。
と、そこへ軽快なノックの音と共に、陽気な声がわって入ってきた。
「テルゼ〜みんなで一緒に弁当食べないかって……」
ずどがぁぁぁん!
史河が慌ててドアを閉めるのと、シードが抜き打ち様に光刃を放ったのと、ほぼ同時であった。
「なっ……なっ……」
凡百な人間の少年が、完全破壊されたドアの向こうでふらふらと崩れ落ちた。
シードは「ちっ」と舌打ちした後、
「……どうして逃げる?」
「そぉいうことをするからだよっ!」
ぺたんと尻もちをついたまま、半泣きでわめき立てる史河。
「フン……小者め」
「テルゼ!武器も持たない民間人に、いきなり攻撃魔法ぶちかましてくる〈むっつり将校〉を野放しにしているなんて、君の部下の教育はどうなっているのさ!?」
紺の軍服に向けた人差し指を激しく上下させながら、史河はテルゼに訴えた。
「いや……シードはエリフォン兄さんの部下であって、僕に管理責任を求められてもなぁ……」
「そんなの方便だっ!だいたい、こいつは君の親友なんだろっ!友として何か言うことはないのかっ!?」
「黙れ小者が。今は取り込み中だ。速やかにこの場から立ち去れ」
「そういうことなんだ。
すまないけど、君達は先に食べていてくれ」
つっけんどんなシードの物言いをフォローするように、心底申し訳なさそうな声でテルゼが言った。
「はいはい、そうですか。
……あ〜あ。何だって食事に誘うだけで命はらなきゃならないんだろ……」
ぶつくさ言いながら、史河は自分の楽屋の方へと戻っていった。
テルゼは小さく溜息をついて、傍らに立つシードを見た。
「君らは本当に仲が悪いな……というか、君が一方的に史河君のことを嫌っているようだけど」
言ってテルゼはパチンと指を鳴らした。たちまち発動した彼の魔力により、大穴の空いた壁は音もなく復元される。ドアはもと通り閉ざされ、部屋の中は廊下から見えなくなった。
それを見届けたシードが、再び口を開いた。
「さっきの話の続きだが……」
「どうぞ」
「俺には今更お前が命を削ってまで学ぶべきことがあるとは思えない。
ましてやあの間抜けな人間の側ではな」
不機嫌な顔でシードは吐き捨てた。
「三年前の時点で、お前はすでに兵士としても指導者としても優秀だった。
馬鹿貴族共が何とほざこうと、〈全知神〉の後継者はお前だけだ」
「……そうかな」
テルゼの声が一段低くなる。
「本当に僕は御稜威の王たる資格があるのだろうか」
翳りをおびた美貌と声に、シードは殊更真剣に言い縋った。
「お前を認めているのは何も俺だけじゃない。
俺の部下も、元帥長も正将も、そして一部とは言え、元老院直属である〈騎士団〉の奴らでさえ、お前が登極する事を望んでいる。
だから──」
「最低だな」
早く戻ってきて欲しい──続く言葉を思いもよらぬ一言で遮られ、その意味するところを取りかねて、シードはしばし呆然とした。
「集い尽くしてくれる人達をこんなにも傷つけ、不安にさせる……やはり僕は最低の人間だ……」
向けられた優しい笑みの、哀しいまでの美しさに、開きかけた唇はのせるべき言葉を見つけ出せず、ただ、その様を瞳に焼き付ける事しか出来ない。
「僕もね。君に会えたら話したい事があったんだよ。シード」
テルゼはごくさりげない調子で話題を振った。
「君は何も言わないが……三年前、僕が起こした不始末は、未だ君を苛んでいるんだろう?」
「…………!」
会話の間、努めて冷静を装っていたシードであったが、ついその表情を動かした。
「僕が真に玉座に相応しい力を持っていたなら、君にこれほど迷惑をかける事はなかっただろうに……その後も配慮が足りなかった。本当にすまないと思っている」
「それは……」
違う……と言いかけたが、本音はまたテルゼの言葉に抑えられる。
「君はさっき、僕を『優秀』だと評価してくれたけれど、それは『兵士として』……ではなく、『兵器として』の間違いじゃないだろうか?」
それは穏やかでいて、まるで刃物のような言葉だった──投げかけられた者と口にした者、双方の心に斬りつける、両刃の剣。
感情が欠落した声で、テルゼは続けた。
「君達のような兵士と違ってね……兵器は戦いに意義を求めないんだよ。頭に在るのは目標の殲滅……自分に向かってくる敵意の全てを蹂躙することのみ。
僕はそうだった。少なくとも三年前までは」
嘘だ。
彼は自分にも彼自身にも嘘をついている。
それは周囲が彼に望んだけれど、装っていただけで、決して成り代わる事のなかった姿だ。
〈完全兵器〉──いっそ、本当にそうであれたら、ずっと楽だったろうに。
優しいから強くなれるのか。強いからこそ優しくなれるのか。
繊細で鋭敏なくせに、それでいて豪胆で頑強な、すさまじい精神力で、全ての痛みをねじ伏せて。
感情に走る事無く。しかし感情を棄てる事はせず。
凄惨な現実から目をそらす事無く、美しい理想を語る彼だからこそ。
皆が彼に魅かれるのだ。そして自分も──
そんな彼の胸中を知ってか知らずか、やがてテルゼはシードから視線を外すと、ここで打って変わった、どこか楽しげにも聞こえる口調で語り始めた。
「……あれは地球に来て一年目だったかな……どういう流れでそんな話になったのか、彼に平和についての講義を求めたことがあってね……我ながら小学生相手に意地悪だったと思うよ……」
空になったカップをテーブルに置き、その時の情景を思い出したのか、テルゼは淡く微笑んだ。
「さて、どんな一般論を聞かせてくれるのか、はたまた答えられずに押し黙るのかと思っていたら、彼はこう言ったんだ」
少年がひとしきり唸った後出した答えは、テルゼの意表をついたものだった。
『みんなが毎日笑って生きられる世界じゃないかな?』
「……その時思い出したんだよ。僕が〈全知神〉の後継者として生きていこうと決めた理由を。ここへ来た理由をね。
彼のおかげで僕は、再び自分を取り戻す事が出来た」
テルゼはシードに端正な顔を傾けた。
「あの星は、今や僕の歴史の中で非常に重要な位置を占めている。もう一つの故郷と言ってもいいだろう。そして彼らは恩義のある大切な僕の家族だ。
我が家に土足で侵入され、荒らされていくのを黙って見ているなんて、僕にはできない」
紫電の瞳と氷河の瞳、強い意思を持った視線が対峙する。
「なるほど……もう俺が何を言っても無駄ということか」
先に視線を外したのは、シードの方だった。
「お前は自分で見出し、選択したんだな。貫くに値する理想と立つべき戦場を」
見方によって寂しそうにも嬉しそうにも見える、表情と声音で。
「……死ぬなよ」
「君にのろけ話を聞かせるまでは、死ねないよ」
悪戯っぽく笑ってテルゼが答える。
シードも不器用に微笑み返すと、ドアの方へと歩き出した。
まだ、言いたい事は多かったけれど。
「俺は〈扉(ゲート)〉の警備へ戻る……またな」
「……ああ」
テルゼが軽く手を振る姿を最後に、楽屋内の様子はシードの視界から消えた。
シードが廊下へ出ると、ちょうどそこへ直属の上司が通り掛かった。
「よお、シード」
「〈護戦神〉」
いかにも軽薄そうな物腰の、鮮やかなピンク頭と三つ編みがトレードマークの青年……エリフォンは、けらけらと笑いながら部下に言った。
「な?やっぱし俺の言った通りだろ。『あいつのワガママだ』って」
「はい。殿下自身の御意志だと確認致しました」
シードは慇懃に肯定した。
「まったくよぉ。俺の言うことは信用しねぇくせに、テル坊主の言うことは鵜呑みにしちまうんだな、お前は」
大げさに肩をすくめてエリフォンはおどけた。その愛敬あふれる姿は、とても神の座に在る者には見えない。
「あんな奴だけどよ。これからも仲良くしてやってくれな」
「御意」
部下の返事に満足げに頷くと、エリフォンは彼の前から去っていった。
「それにしても……思っていたより時間を要してしまったな」
しかし、彼自身は時間を無駄にしたとは微塵も感じてはいない。むしろ本当はまだ足りないくらいだ。だが、留守中の指揮を任せてきた副官はそうは思ってくれまい。
急がねば。
シードは空間を跳躍し、その場から消えた。
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