「親分!どうやら今回は上玉のようっスよ!」

「馬鹿者!〈無明の魔王〉様と呼ばんか!」

「アイアイサー!」

「『御意』だろう!『御意』!何度言ったらわかるんだ!」

三魔皇が温泉で戯れている時、彼らが宿泊している宿の様子をうかがう、怪しい影が二つあった。

一方は中肉中背で、黒髪を腰のあたりまでのばした、推定年齢二十代後半の男性。顔はサングラスをかけているため、はっきりとは判らない。しかし、通った鼻筋を見る限り、標準以上の顔立ちと判断してよいだろう。

もう一方は前者を「親分」と呼んでいた小柄な男性。年齢は前者とたいして変わらない。

やはりサングラスをかけているが、こちらはこれといって見るべきところのない容姿のようである。

服装はそろいもそろって黒のスーツに同色の帽子という、思い切り「怪しい者です」と自己主張しているものだった。

「でも親…魔王様。なんで宿の様子を観察するのに、わざわざこんな格好をするんスか?」

自称・魔王の男性は頭をかかえ、苦悩するそぶりを見せた。

「セバスティアン…お前はそんな事もわからないのか?古来より諜報活動をする際は、この闇色の衣を纏うと決められているのだ。こういう時は人目についてはいけないからな」

「でも…何か俺ら目立ってませんか…?すごく…」

セバスティアンは、自分達のすぐ側を、奇異の目を向けては去っていく観光客を見て、正直に、ありのままに状況を述べた。

「そうか。やはりこのような格好をしていても、私のあふれんばかりの魅力は抑えられないということか」

うんうんと一人合点している男性に、(そうだろうか?)とセバスティアンは思わずにはいられなかったが、あえてそれを口に出すことはなかった。かわりに今回のターゲットについて確認する。

「しっかしすごかったっスねー。さっきの気放出性波動(アストラル・フォース)。今までいろんな国、市町村を渡り歩いてきましたが、これほどのものにお目にかかったことはないっスよ。一度目は気のせいかとも思ったスが、二回目のとんでもなくデカイのは、見間違うハズもないっスからね。未だに余波がピリピリくるっスよ」

「ああ。これ程の霊力所有者を取り込めば、私の力は天をも貫くものとなろう!世界征服も夢じゃないかも、だぞ!」

自称・魔王は、ガシッとセバスティアンの肩を掴むと、力一杯──セバスティアンが首をガクガクさせて「あうっ…じだがんだ…やみで…」と言うのにも構わず──揺さぶる。

「思い返せばつらく長い道のりであった…才能に恵まれながらも、世間は私に冷酷であった…名もなく虐げられる日々はもう終わりだ!セバスティアン、お前にも人並みの暮らしをさせてやるからなっ!」

気が済んだのか、黒髪の男性はセバスティアンから手を放し、一人天を仰ぎ見、瞳を輝かせ──ているのであろうおそらく。サングラスで確認することはできないが──悦に入っている。セバスティアンは、(そんなとんでもない霊力を持ってる奴を取り込むことが大変なんだろうけどもさ)と心の中でつっこんだ。しかし、どうやら相手は彼が何を考えていたのかわかったらしい。

「せぇ〜ばぁ〜すぅ〜てぃあ〜ん!お前!この私をどなたと心得ておるのだ!畏れ多くも、世界のあまねく闇を支配する(予定)、大魔王〈紫嵐帝〉なるぞ!」

「さっきは〈無明の魔王〉っていってたじゃないスか…」

「細かい事を気にしているから、お前は大きくなれんのだ!」

セバスティアンは、自分の身長が低い事を気にしているので、彼の言葉を聞いてムッとする。知ってか知らずか、男性はそれを無視して声高らかに言う。

「どんな相手であろうが、我が魔力の前ではひれ伏すのみ!さあまっていろ!我に選ばれし生贄どもよ!

〈夜天公〉の殺戮ショーの始まりだ!あっはっはっはっはっは」

「〈紫嵐帝〉…」

この男には何を言っても無駄だと思い、セバスティアンはもうそれ以上つっこまないことにした。

 

「何だって疲れを癒す為に来た温泉で、さらに疲労しなくちゃならないんだよ…」

そう言ってエリフォンは、手にした缶ビールの残りをぐいっと飲みほした。

風呂からあがったエリフォン達は、ロビーの近くに位置する売店の周辺をうろついていた。

上機嫌な二人の兄に対し、エリフォンはすこぶる不機嫌で、陰々滅々の気を放っている。

「お前に言われたくない台詞だな、エリィ。自業自得であろうが」

レイグリフが一人いじけている弟に呆れたように言う。ダレンフィムもまたうなずく。

「いい加減機嫌を直さんか。それにエリィ。『風呂の後は冷たい牛乳を腰に手をあてて飲む』というセオリーを忘れたのか?」

かく言うダレンフィムの手には、確かに牛乳瓶がある。『フルーツ牛乳』なところもなかなかポイントが高い。レイグリフの方は、チョコレートアイスバーなぞをくわえている。精悍な顔立ちに似合わず、彼はかなりの甘党だった。

「巨大なお世話だ。俺は結局風呂の中じゃ全然飲めなかったんだからな──それより兄貴。また年甲斐もなくそんなもん食って。血糖値が上がるぞ」

「人間に染まりすぎだよ、お前は。私達に生活習慣病など無関係であろうが。それに、私が糖尿病だというならばお前は肝硬変だ。うわばみめ」

すでにエリフォンは、三五〇ミリリットル缶八本を、平然とした顔で空にしていた。

レイグリフはレイグリフで、すました顔でアイスをなめ続ける。ダレンフィムはというと

「うーん…卓球台はないのか?」

と、きょろきょろしていた。

が、突然その動きが止まり、容顔に緊張が走る。

「これは…」

「どうしたよ?ダレフ兄貴」

その様子を見て、怪訝な顔をするエリフォン。しかし、数秒のうちに彼もまた、〈異変〉に気がついた。レイグリフの方へ目を向けると、先程までのお気楽な雰囲気は一変し、鋭い〈法皇〉の顔に戻っている。

「リフ…」

ダレンフィムがみなを言い終えるより早く、彼は静かに言い放つ。

「灯が消えた。ごく近くでな」

冥界の主君たる彼の、「灯が消えた」という言葉の意味するところは、すなわち──

「きゃあああっ」

そこへ示し合わせたかのように、絹を裂くような女性の悲鳴があがった。

 

 

「マジかよ」

人間、考えていた事がいざ実際におこってしまうと、ただ笑うしかなく、呆然としてしまうものである。それはエリフォンにも言えた──人間ではないけれど。

事態をいち早く察知した三人は、迷わす声のした方向へ向かった。

そして──そこには女性が二人いた。しかし、床に倒れている一人は、すでに事切れていた。体に手を触れるまでもなく、三人にははっきりと確信できた。

「何があった」

その場に立ちつくしている、おそらく先刻の悲鳴の主であろう女性に、ダレンフィムが尋ねる。

「二人で歩いていたら…い…いきなり倒れて…息してなくて…冴子…直前まで…元気に話してたのに…何で…」

被害者の友人らしい彼女は、突然の出来事にすっかり動揺しており、精神に混乱をきたしていた。

「…何で」

「──おいっ!しっかりしろ!」

ふらつき、倒れる彼女の体を、エリフォンは慌てて受け止める。

「死んじまったよ…」

「外傷は全くない。体内も同様に死に至る原因は確認できない──」

遺体とその周囲を検証していたダレンフィムがそう告げると、レイグリフはこう結論づけた。

「外部から精神体を強制剥離させられたと見て間違いない。誰がこんな真似を…」

不快感をあらわにして吐き捨てると、レイグリフは見開いていた女性の目を閉じてやった。

そうこうしているうちに、悲鳴を聞きつけた他の人間が次第に集まりだし、周囲は騒然とする。

そしてまた一人、一人と、被害者が増えていく。

じわじわと、しかし着実に。

従業員がパニックを抑えようと──しかし、最も動揺しているのは何を隠そう彼らである──部屋へ宿泊客達を戻そうとしている。彼らの一人が、

「けっ…警察に連絡を…」

と言うのを耳にして、ダレンフィムが口をはさんだ。

「無駄だ。電話線はとっくに切断されている」

彼がそう言い終えるのと

「電話が通じません!」

悲鳴じみた声があがるのとほぼ同時であった。

「先に言っておくが、携帯電話も無駄だぞ。妨害電波(ジャマー)が発生している」

「そんな…」

女将が困惑しきった顔でつぶやく。不幸という不幸が、たたみかけるように襲ってきているのだ。無理はない。

「それに、これはどのみち警察の──人間の手には負えまい」

混乱のただ中にあって、あくまでも冷静沈着な栗色の髪をした男性──レイグリフの言葉に、彼女は問わずにいられなかった。

「あなた方は一体…」

「私達は…」

そこへ不敵な笑みを浮かべたエリフォンが髪をかきあげ、気取って言う。

「〈愛の戦士(ラブハンター)〉とでも名乗っておこ…はぐっ!

「場違いなボケをかますな…愚弟が…」

レイグリフの制裁は相変わらず容赦というものがない。相手がエリフォンでなければ、もう一人死人が出てもおかしくはないだろう。

しかし、それだけ、エリフォンの実力を買っていると判断できなくもなかった。

「つつみ隠さず話しても私達はいっこうに構わないのだが、お前達はけして信じはすまい。故に時間の無駄と余計な混乱をまねくだけの事は話さぬ」

レイグリフの口調には、有無をいわせぬ強力な威圧感があった。それ以上言いすがろうとする者はいない。

「やはりあの時力をもらしてしまったのはミスであった──ただの偶然という可能性もあるが、どちらにしろ──」

「私達の休暇の邪魔をする者は許せんな」

ダレンフィムの言葉に残りの二人も力強くうなずいた。

こうして不幸にも、〈十二天魔(レイ・ソルナール)〉の〈三柱〉とも呼ばれる常任魔皇達を、一度に犯人達は敵にまわす事になった。

 

 

「準備はできたか?セバスティアン」

「アイアイサー!」

「『御意』!」

「ぎ…御意!」

「…よろしい」

先刻、宿の様子をうかがっていた二人組は、その変わり身をといていた。

もう黒ずくめは着ていない。サングラスもつけていない。

自分を「魔王」と呼んでいた男性は、今は深緑色のローブを身に纏い、束ねていた髪をおろして、風になびかせている。素顔はやはりかなりの美形であった。なるほど、いわゆるファンタジーRPGに登場する〈魔導師〉──もとい〈魔王〉のイメージそのものである。格好だけは。

御付きのセバスティアンはいわゆる〈騎士〉の装束である。しかし、見た感じとても主人公をはるようなキャラクターではない。〈騎士・その1〉といった風情である。

この格好だけではただのコスプレイヤーであるが、二人は決してそれだけでは終わっていなかった。

今、二人は宿の上空で静止している──つまり浮かんでいる。

加えて建物周辺に結を張りめぐらし、通常空間から隔離している。

やはり、ただのコスプレイヤーではない。

「どうだ?この閉鎖空間で、じわじわと一人ずつ人間が死んでいく。原因はまったくわからない。老若男女無差別の殺戮。次は自分かもしれない──不安は恐怖を、恐怖は滅びを導く──おおっ!なんと素晴らしい作戦!とっても魔王な感じだ!なあ?セバスティアン!」

「そうっスね!」

セバスティアンは言いつつも、胸中では(なんて月並みで、三流悪役な作戦なんだ…)と嘆息した。

しかしあくまで異議は唱えようとしない。頭は三流でも、主人の魔力は確かに一流のそれであったからである。下手に逆らえば消されてしまう。

「しかしだ…」

〈魔王〉は首をひねる。

「おかしいな…静かだ…静かすぎるぞ。次々人が死んでいるんだぞ?しかも外部との連絡さえとれない状況だというのに…何故何も動きがない!恐慌状態にならんのだ!」

──答えは意外なところから返ってきた。

「それは、建物内に存在する人間全てを時間凍結し、異層空間に転移したからだ。これ以上私達の前で、お前達の思い通りにされるのは、不愉快この上ないからな」

苛立つ〈魔王〉の耳に、聞き覚えのない声がどこからともなく響く。それは一度聞いたら忘れる事のできない美声であった。

突如、彼らの任意空間に波紋が走る。目の前の景色が大きく歪曲し、そこを中心に凄まじい衝撃波が発生した。

『どええええええっ!?』

なすすべもなく二人は吹き飛ばされ、無様に地面に叩きつけられてしまう。

「──うがっ!セバスティアン!早く私の上から退かんか!てっ…敵襲だぞ!」

「御意!」

ようやく態勢を立て直した二人が、衝撃波の発生した方向を見上げると、そこには三つの人影があった。

「は…はへぇ…これはまた…どえらい美形っスね…比較にならないっス…格が違うっス…」

「こぅらっ!セバスティアン!この私と見比べるとは何事!この私より美しいだと?そんなことが──」

そこで彼は絶句した。現れた〈本物〉を目前にして。

まず目に入ってきたのは、丈の長い白の法服を纏うた男性。長く伸ばしたブラウンの前髪から覗く、切れ長の碧眼が冷たい光をたたえ、自分を見下ろしている。その視線は、それだけで相手を射抜き殺しかねない程鋭い。

彼と目が合うのを避けるように、その横へと視線を移す。代わって視界の中心にきたのが、淡紅色の長い髪を三つ編みにした長身の青年で、こちらは要所要所に金糸の縫い取りのある漆黒のコートを纏っている。端正な顔には笑みを浮かべていたが、それは友好的なものではなく、これから起こる戦いを──殺戮を楽しんでいるかのような印象を受け、前者の白衣の男性とは違った恐ろしさがあった。

そして最後の一人は、目の覚めるような紺碧の式服に純白の片外套(マント)を纏い、静かだが圧倒的な存在感を持つ、銀髪の美男子である。他の二人もそうではあるが、この男性はそれに輪をかけて破格であった。その秀麗な容姿は、性別、年齢などあらゆる概念を超越し、神々しささえ感じられる。見ているこちらが恥ずかしくなるような有様であった。

ただただ、ポカンと阿呆のように口を開けてこちらを見ている、ローブ姿の男性とその御付きらしい青年に、エリフォンは容赦なく

「だっせえ」

と言い放ち、もの珍しそうな目で相手をじろじろ観察する。

「こいつ、中世ヨーロッパで脳ミソたち腐っちまってるんじゃねーのか?あんなクソ動きにくそうなローブに、ショルダーガードまで着けちまってよ。メイスの代わりにもならねぇ、細っこいゴテゴテ飾りばっかりついた(ロッド)なんか何に使うつもりだ?」

遠慮も何もない彼の独白はさらにつづく。

「うわっ!さらにおかしなのがもう一匹!何だそれ、〈ドン・キホーテ〉のコスプレか?やめとけ、やめとけ。ご立派な騎士道じゃ俺達には勝てねぇよ。そもそも動けんのか?それ」

そこまで言うと、彼は「はあ」と声に出して、深々と溜息をついた。

「あ〜ここまで徹底してると、喜劇を通り越して悲劇だね。憐れになってくるぜ。時代に乗り遅れたロートル魔族…涙が出てきちまうなぁ、もう〜」

懐からハンカチなどを取り出して、涙など出るはずもないのに、わざとらしく目元を押さえる仕草をするエリフォン。横では何故かレイグリフが口元をひきつらせている。

「エリィ…お前ひょっとして私に喧嘩売ってないか?なあ?」

レイグリフもまた古風な法服(ローブ)姿である故、エリフォンの〈魔王〉に対する発言は、そのまま彼に対する嫌味ともとれるのである。

レイグリフは無理矢理笑みを作り、怒りを中和しようと努力しているらしいが、かえってストレスがかかり、彼の周囲はその笑顔に反して怒気が渦巻いている。

「あ…兄貴は別に職業柄、仕方なくそんな格好をしているんだからさ、センスがどうのっていうことは…」

慌てて言い繕うエリフォンに、レイグリフは一言、

「私は自ら好んで、この姿をとっているのだがな」

陰鬱な目で言う。

救いようのない空気が辺り一面を包み込んだ。

「『取り付く島もない』とはこういう状況を指すのだな…」

ダレンフィムが一人呑気につぶやく。

「と…とにかく!今は目の前の敵を討つのが先決!味方同士で喧嘩してる場合じゃないだろ!

おいっ!俺達の貴重なバカンスを邪魔するたぁ、いい度胸じゃねーか!てめえら一体何者だっ!」

その声で我に返ったらしい二人組は、「いかん、いかん!私とした事が」などとパンパンと頬を叩き、自らに喝をいれ、表情を引き締めた。そして大見得を切る。

「貴様らに名乗る名前なぞない!」

「あっそう。それじゃさっそく…」

「ちっ…ちょっとまてぇいっ!」

攻撃態勢に入ったエリフォンを見て、時代錯誤な二人組が慌てふためく。

「本当に聞かなくていいのか!?聞きたくないのか!?どうしてもっていうなら、名乗ってやってもいいんだぞ!?」

「別に。どのみち対応はかわんねぇしな」

とエリフォンは冷たい。

〈魔王〉は憤慨し、エリフォンを手にした錫杖でびしりと指し示すと、

「かーっ!どこまでも無礼な奴らめがっ!さっきはさっきで、いきなり衝撃波攻撃かましてくるしぃっ!今度はヒトの服装をさんざんバカにしくさったあげく、相手が何者かも確認せずに、さくさく戦いを進めようとするとは、貴様ら何様のつもりだっ!」

地団駄を踏んでわめき散らす相手に、エリフォンは、「魔皇様」と言いたい衝動にかられたが、それは抑えて、

「衝撃波って…あんなの攻撃行動の内に入らねぇよ。空間爆縮で生じるただの反作用だ。いつもは完全に中和すんだが、めんどくせーから省略しただけさ」

空間転移には、擬似的なものも含め、様々な方法が存在する。エリフォン達が用いたのは、指定座標までの空間を、魔力によって強引に歪曲させ接続し、現在地から目的地までの相対距離をキャンセルする、というものである。空間転移の方法論として提唱されたものの中では、施行難易度は低い部類に入る。だが、反作用によって周囲の空間に多大な影響が生ずるというのが、唯一にして最大の欠点であった。

結果、転移方法それ自体に技術は要求されないものの、それによって発生する反作用を打ち消すのに、高度な技術と強大な魔力が必要とされるため、有名無実の転移法として一般には知られている。

それを容易に使いこなしているという事が、彼らの実力がいかに計り知れないものであるかを、雄弁に語っていた。

「『クウカンバクシュク』…何か専門用語って感じで格好良いっスねえ」

「セバスティアン!敵を賞賛してどうする!お前が褒め称え、敬うべき者はこの私!〈魔王〉たるこの私だけだ!」

「〈魔王〉だと…?」

相手から思わぬ単語が飛び出したのを耳にして、レイグリフが柳眉をひそめる。

「そうだ!聞いて驚け!泣き喚け!──セバスティアン!特殊効果用意!──我こそはこの世のあまねく闇を支配する(予定)者!混沌と恐怖の化身たる魔王〈蒼玄帝君(ダークロード)〉アルヴァトロスなるぞ!フッフッフッ…アーハッハッハッハ!カーハッハッハ!」

腰に手をあてて高笑いする彼のバックに、赤、黒、白、黄、青の五色スモークと桜吹雪が同時発生し、安物のラジカセから最大音量で、フランツ・シューベルトの名歌曲「魔王」のテープが、狂ったように「お父―さんっ!お父―さん!聞ぃこぉ〜えなぁいのぉ〜」と歌いだした。

「な…何て最悪のセンスをしているんだ…」

レイグリフが汗ジトで思わず後ずさりする。

「アルヴァトロスか…」

「なんだよ、兄貴。知ってるのか?」

エリフォンは、紅唇に指をあてて、蓄積された膨大な記憶中枢系を検索中のダレンフィムへふり返る。

「…アホウドリだ」

彼がぽそりともらした名詞は何とも場違いなものであった。

「…は?」

レイグリフもまたその言葉を聞き取って、アルヴァトロスへ向けていた注意を、弟達の方へと戻す。

「アホウドリを英語でそう言うんだ。つまり、直訳すると奴は『闇の支配者アホウドリ』となる」

「アホ…」

未だに高笑いをつづけているアルヴァトロスを見やって、レイグリフとエリフォンは

『確かに』

「フフフ…『三人よれば文殊の知恵』などというが、この私の前ではそんなもの通用せんぞ。我に選ばれし者どもよ。有難く思え。我が糧となる事により、礼儀も知らない下賎な貴様らの力は、世界粛清という崇高な目的の為に有効活用されるのだ。さあ、無駄な抵抗はやめ、大人しく…」

一人悪役演説を繰り広げるアルヴァトロスに照準を合わせると、エリフォンは無雑作に火球を数発放った。

ゴォウンッ!

火球は見事、全弾アルヴァトロスに命中した。

「こっ…こらっ!言ってるそばから何するんだ貴様!」

服のあちらこちらを焦し、髪を縮らせているものの、アルヴァトロス自身に大した被害はないようである。

「へぇ…手加減したとはいえ、思ったより頑丈だな。アホウドリ」

「だっ…誰がアホウドリだっ!」

「お前のことだ、信天翁──ちなみに信天翁はアホウドリの別名だ」

レイグリフも面白がってエリフォンに続ける。

「あ、本当っスよ。ちゃんと辞書に載ってるっス…ええとアルバトロスのつづりは…a/l/b/a/t/r…」

「何を律儀に辞書をひいているのだ、セバスティアン!それに『アルバトロス』ではない!『アルヴァトロス』だっ!

『ハ』にテンテンじゃなくて『ウ』にテンテンの方だ!いい加減覚えろ!」

「大して違わねーと思うけどな。アホウドリだし」

相手が予想以上の反応を示した為、気を良くしたエリフォンがツッコミを入れると、アルヴァトロスはキッと彼を睨めつけた。

「貴様は〈格好いい名前〉の条件を知らんのか!?〈格好いい名前〉──それは、

ひとーつ!文字数が多い!

ふたーつ!濁点が入る!

みーっつ!小文字が入る!

そしてそして──

よーっつ!何となくラ行が入ることが多い!の四か条だ!ついでに同じ濁点が入るにしても、【B】の音より【V】の方が断然いい!故に我が名は『アルヴァトロス』!フッ!どぉうだ!全ての条件をクリアしているぞ!こんなナイスな名を持つ者はそうおるまいて──」

「私はダレンフィム=ソルフィス=アフラロイドだ」

それまで黙って事の成り行きを見守っていたダレンフィムがさらりと言う。

「俺はエリフォン=スザック=アフラロイド。〈血桜花(モータル・ブラッサム)〉って二つ名付き」

「こんな道化に名乗りたくもないが──レイグリフ=ハルヴェン=アフラロイド──ふむ。私も一応条件をクリアしているのだな」

立て続けにエリフォンとレイグリフもフルネームを名乗る。

『アフラロイド』という姓は彼らの一族が人間社会へ還俗した際に付けられたものである。本来〈天魔〉に〈家〉という概念は存在しない為、姓もまた存在しない。

「すごいっす!ミドルネームまであるっスよ!顔に加えて名前まで負けちゃいましたね!魔王様!」

明るく言うセバスティアンに対し、憐れアルヴァトロスは地に膝をつき、一人影を背負って絶望の淵に立たされている。

「ついでにいうと『セバスティアン』だってそうじゃんか。お前、今の今までずっと一緒にいて気づかなかったのかよ?本当にアホだな」

エリフォンのこの台詞が彼にとどめをさした。

ずがぁぁん

「しっかりして下さいっ!魔王様!真っ白になってる場合じゃないっスよ!バカにされたまま燃え尽きちゃっていいんスか!?」

セバスティアンの熱い呼びかけに応えて、アルヴァトロスの瞳が力強い輝きを取り戻した。

「そうだ!顔や名前は二の次だ!要は実力があるか否か、それが全てだ!──覚悟しろ!人間の分際で魔王である私を愚弄した事、たっぷりと後悔させてやる!」

「大人しく鳥島へ帰った方がいいと思うぞ。信天翁よ」

「黙れ!テルテル坊主男が!魚焼きだか神聖文字だかわけわからん名前のくせして生意気だぞ!」

「そうっス!『人の振り見て我が振り直せ』っスよ!──あなたこそエジプトでファラオの呪いを受けてサンマを焼いているがいいっス!」

エリフォンがおそるおそる隣のレイグリフを見ると、意外にも彼は穏やかな表情をしている。それどころか微笑んでさえいた。この反応にエリフォンは少々途惑う。

「ふっ…我が名をここまで強引に解釈したのはお前達が初めてだ──」

ここで彼はブレスをし、滑らかに次の言葉をつないだ。

「──そして最後だ」

刹那、レイグリフの表情が激変した。〈お約束〉な展開にエリフォンが叫ぶ。

「ああっ!やっぱしぃっ!?──もう知らねぇぞ、俺は!」

見る者全ての魂を凍りつかせるような、深淵の覇者にふさわしい、凄絶な笑みを浮かべた白衣の魔皇は、ゆらりと物理レベルまでに高められた殺気──むせかえるような瘴気を撒きながら、ゆっくりと二人に向かって歩み出す。

そのただならぬ雰囲気に、セバスティアンは戦慄を覚えた。一刻も早く、その場を逃げ出したいのだが、意思に反して、体は縛り付けられてしまったように動かない。

「我を敵にまわした事、来世まで後悔させてやる…」

「何を言う!後悔するのは貴様らであって私は──」

レイグリフの姿が彼らの視界から消えた。

「────!」

そして次の瞬間、彼はアルヴァトロスの懐に飛び込んできていた。

アルヴァトロスにレイグリフの攻撃をガードをする余裕は全くなかった──よって──

どがすばかふべこべこばぎゃんずががががっ…

「はぐっ!ぐひっ!がはっ!ふががァ!わっ…私が悪うござ…ごきぃ!うごっ!…すいません、生まれてすいません…すいませ…ぎうっ!」

ごっかーんっ!

──アルヴァトロスは、レイグリフの格闘ゲームも真っ青な高速連打攻撃の前に、ボコボコのメタメタにされ、フィニッシュのアッパーカットで天高く吹き飛んだ。

…ひゅるひゅるるぅぅ…べしゃっ!

「ああ…魔王様…結局何一つ勝てなかったっスね……大見得切っていた分、よけいに情けないっス…」

無様な格好で地面に叩きつけられた主人を前に、セバスティアンはとめどなく涙を流して合掌した。

「セ…セバスティアン…私はまだ…死んでいないぞ…勝手に〈おもひでのひと〉にするな…」

ぴくぴくしながら、アルヴァトロス。

「そうだ。これからとどめをさすのだからな。このくらいで死んでもらっては困る」

五メートル以上の空間距離を、一瞬で跳躍してきたレイグリフが、アルヴァトロスの顔を覗き込んでいるセバスティアンの背後で、指をバキバキ鳴らして凄んだ。

「口ほどにもなかったな、信天翁。さて、どうしてくれようか。このまま脳髄を踏み砕くか?それとも四肢を一本一本切り落とすか?何なら我が冥王府まで連行し、堕天使どもと仲良く煉獄に放り込んでやってもよいのだぞ?」

「あのう…『このまま許す』っていう選択肢はないのでせうか…」

「ない」

セバスティアンの最後の望みはあっさりと打ち砕かれた。静寂の中、レイグリフの右足がゆっくりと動き、アルヴァトロスの頭部めがけて振り下ろされた。

どがぁっ!

──重いその一撃は〈魔王〉にきまることなく、代わりに一秒前までレイグリフがいた地点の地面が大きく陥没する。

「──兄貴!」

「…何だ…?今のは…」

攻撃をしかけた時と同様、レイグリフは瞬き一つの間に弟達の方へ後退してきた。その顔には驚きが表れている。

「どぉうだ!驚いたか!驚いただろう!?──今まであえて貴様らにやられていたのは、全て貴様らの実力を量るためと、我が真なる力を解放せんがための下準備だったのだ!」

ようやく相手に一矢を報いる事ができたアルヴァトロスは、再び高笑いを始めた。その後ろでセバスティアンが、必死に花吹雪を発生させているのがいじらしい。

「…俺は本気(マジ)でやられていたと思うが」

「右に同じ」

「シャラ───ップ!」

エリフォンとダレンフィムのツッコミをはねのけると、アルヴァトロスは不敵な笑みを浮かべた。こうして黙っていれば、彼もダレンフィム達までとはいかないものの、それなりに端正な容姿の持ち主なのであるが──

「ハハハン!いっくら貴様らが強いといっても、それは所詮、人間レベルでの話だ!」

「…お前…今まで俺らが空間転移やら、タイムラグ無しで発動する攻撃魔術使ってるのを見ても、本気でそう思うか?」

相手の余りの無知さに、エリフォンがとろんとした目で疲れた声を出す。

「今時はやりの〈変身魔法少年〉か何かなのであろう!?前世からの宿命がどうのこうので戦っているアレだ。〈自称〉『愛と正義の美形戦士』などとお寒い口上と共に登場し、相手を集団私刑(リンチ)に処す事で自己満足している、とんでもハップンな連中!うむ!間違いない!」

──一度口を開くと彼の魅力は半減──どころかマイナスに突入してしまうのであった。

「…だーめだこりゃ…」

「『とんでもハップン』などという言葉を使うあたり、トシを感じさせるな」

そういうダレンフィムも他人(ひと)ことは言えない。

「しかし、頭の良し悪しはともかくとして、どうやら魔力は侮れんようだ。この結を張っているのも奴だとすると、先程の攻撃といい、自称・魔王は伊達ではないと言う事か」

レイグリフが相手を冷静に分析、評価する。彼の視線の先に在るアルヴァトロスの周囲には、今や強大な気が渦巻いていた。

「アヴドゥール、ダムラール、アッサラーム=アライクム!ボロブドゥール、サルバドール、ヴィンドボナ=アクティウム!ホシイーカ、ペレストロイカ、アンニョン=ハシムニカ!ボードレール、モノレール、エロイム=エッサーイム!」

意味不明な呪文に、香港映画に出てくる道士を思わせるアクションを重ねた後、アルヴァトロスは声高く叫ぶ。

「さあ、今こそ出でよ!最終奥義!崩魔激衝閃!」

刹那、アルヴァトロスの頭上に、青白く輝く巨大なプラズマ球が出現した。

「おいっ!そんなの聞いてないぞ!アホウドリのくせにっ!」

グワワワァァン…

空間が軋む耳障りな音と共に、爆裂した光球から無数の光槍が三魔皇のもとへと殺到する。

ドドォォン!

辺りは大音響と爆煙につつまれる。荒れ狂う力の波は結界内の全てを吹き飛ばし、さらに結界の天蓋をぶち破り、天高く昇っていき──消えた。

「す…すごいっス!さすが魔王様!木っ端微塵っスよ!カッチョイイ〜」

セバスティアンが目をキラキラさせて、アルヴァトロスを賞賛する。

「そうだろ、そうだろ、すごいだろ〜。これぞ、サタンやルシファーも超びっくりな私の必殺技『崩魔激衝閃』!東岳大帝に至っては一瞬で宇宙の塵と化すであろう、血と汗と涙の結晶、最高傑作だ!」

鼻高々で技の解説をするアルヴァトロス。二人を除いて、そこにはもう何も残ってはいなかった。

「憐れな奴らよ。大人しく私に力を提供していれば、こんな無駄な死に方をせずともよかったものを…」

「──いや、実際たいしたもんだ。俺をこれほどびっくりさせた奴は久しぶりだぜ」

「なっ…」

いまだ爆発によって生じた熱波が完全に消えていない中、そこに響く声は聞き間違えるはずもない。あの生意気なピンク三つ編みの青年──エリフォンのものであった。

「うっ…うそでしょう!?あんなのをまともに食らって生きているんスか!?」

あの時、確かに彼らは空間転移の間もなく、魔力の直撃を受けたはずであった。

「ば、ばかな」

「うそじゃないぜ。『百聞は一見にしかず』ってな」

今度の声ははっきりと、耳元で聞こえた。アルヴァトロスが慌ててふり返ろうとした瞬間、彼の頭部に、万力で締め上げられているかのような痛みが襲う。

セバスティアンが主人の方を見ると、そこにはアルヴァトロスの頭を右手でひっつかまえて立っている、エリフォンの姿があった。──全くの無傷である。

彼は笑ってさえいたが、アルヴァトロスの方は相反して顔面蒼白である。

 

「…『崩魔激衝閃』とかいったな…あの技。初めはちいっと驚いたけどよ、見た目が派手な割に威力はたいしたことないみたいだな。

──つっても、それは俺達だからこそいえるわけであって、フツーの〈天魔〉だったら本当に死んでるぜ?」

ぎりぎりとさらに右手に力を加えながら、エリフォンは笑みを深くする。アルヴァトロスの足が地面から離れた。

「ひ…ひぃぃ…」

「ああ…魔…魔王様…」

「セ…セバスティアン…腹心ならどうにかしてくれ…」

「で…でも俺…特殊効果を発生させる事しかできませんし…それにあれが効かないような相手に、今さらなにをすればいいんスか〜っ!」

ただ、二人の周囲をおろおろと行ったり来たりしているセバスティアンが、ふと、前方の──今は何もない、焦土だけが広がる空間に視線を向けると、一点から景色が大きく歪み、それが急速に空間全体に広がっていく。

「───!?」

そして、数秒後には、全くもと通りの状態に戻っていた。

アルヴァトロスの魔術によって、全てが吹き飛ばされる前と同じ状態に。

「驚いたか?リフ兄貴お得意の超限定空間発生能力さ。〈封隠〉なんて呼ばれているけどな」

無邪気とも言える口調で、エリフォンが彼らの疑問に答えると、

「お前達が張った結界の上を、さらに私の力で覆い、亜空間をより強固なものにしていたのだ。──しかしただの信天翁とばかり思っていたが、やってくれたものよ」

冷厳な声と共に、白い長衣をなびかせて、レイグリフもまた無傷で現れた。

「でもこれではっきりした。アホウドリよ。お前は魔力の絶対値だけは大したものだが、それを行使するための情報処理能力は極端に遅い。魔力を発動、顕現させるために必要な充填時間だけでも一八〇秒以上かかる。発動指針構成式(プログラム)を構築する段階からカウントすれば、さらに一二〇秒、シークエンス終了までにしめて三〇〇秒──五分の時間を要するというわけだ。…やれやれ、ここまで鈍いのは人間あがりの魔術士にだってそういないぞ?」

最後の一人、蒼銀の麗人ダレンフィムが音もなく地に降り立つ。彼の美貌も何一つ損なわれていなかった。

「さぁて、どうするのかなぁ?マ・オ・ウ・サ・マ?」

意地の悪い声を合図に、頭部を締め付ける力がさらに増した。たまらずアルヴァトロスが悲鳴をあげる。

「いてててててっ!あ…頭がぁ〜っ!頭が割れるぅ!

セ〜バスティア〜ン!?」

「あ、あの…捕獲してある人間の魂魄はこの通り返却しますので、ここは一つ見逃してやって下さいっス!」

土下座をして許しを請うセバスティアンを見て、三人は顔を見合わせる。

「まあ、このまま握り潰すのは簡単だけどよ…ここまで相手が情けねぇ奴だと、こっちが悪者みたいでたまんねぇよな」

「およっ!?」

パッとエリフォンがアルヴァトロスから手を離す。

「しかし、このような輩を野放しにしておくというのも感心せんな」

と渋り顔でレイグリフ。

自然と視線はダレンフィムのもとへ集まることとなる。

「おいおい、リフ。裁決を下すのは貴方の役目であろう?」

ダレンフィムは苦笑して兄に言う。

「今の私は〈法皇〉ではない。ただの美形三兄弟の長男だしな」

レイグリフはおどけて肩をすくめる。

「だったら私にも〈十二天魔〉総帥の責任を求めないでほしいな」

ダレンフィムもまた同じように言うのを聞いて、セバスティアンがぴくりと反応した。

「〈十二天魔〉って…どこの神魔勢力にも属していない、超高位魔族ギルドのことっスか…?」

「ギルド…?私達は徒弟制度などもうけていないぞ?」

ダレンフィムが頬を指でかきながらとぼけた口調で答える。セバスティアンの顔に、驚愕、畏怖、そして興奮の表情が順に浮かぶ。

「うおおおおう!?じゃ…じゃあ、ひょっとして貴方が、伝説の〈智を覇する者〉・全知神ダレンフィム!?」

「そんな名前で呼ばれていた頃もあったな…」

「うわぁ〜っ!すごいっス!モノホンっス!『後光がさすほどの超美形』っていうのは嘘でも誇張でもなかったんスね!ダレンフィム≠チて聞いた時、ひょっとしたら…って思ったんスが、まさかこんなヘンピなところに降臨されてるなんて…と、いうことはこちらのお二方も…」

「いかにも。私と同じく〈十二天魔〉を構成する〈魔皇〉だ」

「うひゃぁぁぁああ!こんな〈魔王の中の魔王(ディヴァイン・ロード)〉を三体も至近距離で拝めるなんて幸せっス〜」

「こっ…こら!花道を通る力士じゃねぇんだから、ペタペタさわってくんな!」

うれし泣きで顔をくしゃくしゃにしたセバスティアンが、有り難がってすりよってくる。それを気色悪がってエリフォンがふりほどこうともがく。

「魔王様!アルヴァトロス様!いつまで頭抱えて悶えてるんスか!〈十二天魔〉っスよ!?れ・い・そ・る・な・あ・る!サタンもルシファーも避けて通る大魔族様っスよ!そんな方達に一矢報いることができたんスよ!?認められたんスよ!?」

はしゃぎまくるセバスティアンの興奮しきった声に、地をはいずっていたアルヴァトロスが、ようやく顔を上げてこちらを見てくる。

「…〈十二天魔〉…?って、あの魔王同盟をいってるのか?セバスティアン?」

「そうっすよ!今更何いってるんスか!」

「ああ…そう…〈十二天魔〉ね…実力もないくせに、色仕掛けで人間その他をだまくらかし、贅沢三昧の生活をしている、オンチなアイドルのごとき連中だな。

巷では聖人君子のように言われているが、知っているか?〈十二天魔〉の現・総帥であるフェロモン魔王は、その昔、人間の女に手を出して子供をはらませてなぁ、堕天させられた腹いせに世界を滅ぼしたという、激自己中心野郎なんだぞ!主神も顔だけでなったらしいからな。

今までずっと死んだふりしてて、最近また復活──って、おまえは産休アイドルかーってんだ!」

「あ…あの…魔王様…」

冷や汗をダラダラ流しているセバスティアンの呼びかけもむなしく、アルヴァトロスは拳をぎゅうっと握りしめ、変わらぬ饒舌を振るう。

「ただでさえとんでもハップンな奴だが、なんと!実の兄にあたる鬼冥王とできている(、、、、、)らしいぞ!

見境無しの淫乱魔王に何故(なにゆえ)皆心()かれるのだ!?──そうそう、この冥王ってのもどうしようもない奴でな。公費をちょろまかしては、道楽の骨董品集めに投じている、ジジムサイ趣味の〈妖怪皿数え〉だ。──へっ?それはどういう意味とな?何でも毎朝毎晩、集めに集めた名器と謂われる皿を数えてはニヤリと笑い、それが一枚たりなかったり、器がかけていたりすると、キレて辺りが焦土と化すまで止まらないということからつけられた呼び名だ。法を守り、他人(ひと)を裁く立場にありながら、本人が汚れまくっているとは何たる事!まったくもってけしからん!」

「ア…アルヴァトロス様…もうそのへんで…」

「セ〜バスティアン!またヴァ≠フ発音を忘れたな!?お前はあのノータリン・ブラッサム∴ネ下と謂われたいのか!?この自意識過剰魔王は、前の二人にも増して救いようのないダメ魔王で、ただの戦闘バカのくせにエラソーにしている、〈十二天魔〉一の勘違い男!自分が美形と思い込んでいて、女遊びを繰り返すものの、最後は決まって往復ビンタの末、フラれているというぞ。特徴はいかにも頭が悪そうなピンクの長髪で、それがブラッサム>氛汞桜≠フ二つ名がついたのだと。

ほれ、ちょうどこんなかんじの…」

アルヴァトロスの指が指し示す先には、凄まじい怒気が燃えあがっていた。

「…だぁれがノータリン≠セってぇぇ!?」

エリフォンの手には、彼の得物である独特の形状をしたフォチャード──〈クロムナーヴァ〉が、封印(ロック)を解除された状態で握られていた。フォチャードはグレイヴから派生した鉾槍類に属する武器であり、見た目は日本の長刀(なぎなた)の親戚といえなくもない。もっともエリフォンの持つ〈クロムナーヴァ〉は、主人の特性と相まって、長刀というより死神の鎌を連想させる。

「…妖怪皿数え…ジジムサイとは言ってくれるな…」

レイグリフの表情は、うつむいているため、うかがい知ることはできないが、声の調子は鬼気迫るものがあった。

そして最も濃厚かつ、大量の瘴気を吹き出しているのが──

「今は忍びの身故、見逃してやろうと思っていたが…やはり三下とはいえ、人間にとっては十分脅威となる存在だ。よって──」

ダレンフィムがゆっくりと右手をあげ、親指を立てると、首の前でそれをスライドさせて言った。

「排除する」

この時になって、ようやくアルヴァトロスは、存在の危機を感じ始めていた。

「な…何でこいつらはこんなに怒っているのだ?セバスティアン?」

「来ないで下さいっ!俺は無関係っス!死にたくないっス!滅びたくないっスよ〜!」

「おいっ!主人に向かって何という口の利き方をするのだ!礼儀がなってないぞ!」

「礼儀がなってないのはなぁ…」

エリフォンが〈クロムナーヴァ〉を構える。レイグリフ、ダレンフィムも戦闘態勢をとった。

『お前の方だぁぁぁっ!』

───ボコバキグゴーンッ!

「ひぃえ〜ッ」

雲を突き抜け、風を切り、すごい速度でアルヴァトロスは飛んでいく。

「そのまま世界一周しちまえっ!兼高かおるもビックリだ!」

エリフォンの台詞はもはや彼の耳には届いていまい。

──その後、〈蒼玄帝君〉アルヴァトロスがどうなったかは誰も知らない。

そして知ろうとする者もまた、誰もいなかった。

 

 

「へぇ…それは大変でしたねぇ…僕はもっと大変でしたけど…」

〈本国〉へ帰還した三魔皇を、Eエリアの──彼の祖国である──宮殿で出迎えたテルゼは、彼らの〈武勇伝〉を聞いて、感嘆の──というよりは純粋に疲労からくるもののようであるが──溜息をついた。

「まあ、俺達の手にかかれば、どんな難事件もぷちっと解決さ!」

鼻高々に言うエリフォンに、テルゼは

(あんたらがでしゃばると余計に事が大きくなるだけだろうに…)

と心の中でつぶやいた。

そんな彼の胸中は露知らず、エリフォンは、壁にもたれかかってようやく姿勢制御している甥の顔をまじまじと見て、

「…にしてもお前、この一週間で一気に老け込んだなぁ。兄貴より年くって見えるぞ?」

まったく他人事のように言う。

「やはり、三エリア分の仕事を一人できりもりするのは大変だったろう?すまなかったな」

レイグリフがねぎらいの言葉をかけてくる。テルゼは疲労困憊の顔に精一杯の笑みを浮かべてそれに答える。

「いえ…Eエリア(ここ)地下(した)は、ほとんど仕事片付いていましたし、冥王府の方は、カロンさんがうまくやってくれましたから、全然楽でしたよ──ただ、Sエリアの方がちょおおっと仕事が滞っていまして、時間がかかっちゃいましたけど」

テルゼが目をぎらつかせて、叔父にささやかな嫌味を言う。

「ま、ちょっと書類たまってたからな〜」

エリフォンはあさっての方を向いてとぼけた。

「でも、そんなドタバタしていらっしゃったとなると、お・み・や・げ♪何か見るヒマもなかったでしょうねぇ〜。…あ、気になさらなくてもいいですよ、別に。僕、そんな見返りなんてケチ臭い事言いませんからぁ」

 言葉とは裏腹にその口調は、あからさまに見返りを期待している響きがあった。

それを聞いてレイグリフは、ぽんと手を打つと

「そうだそうだ。土産があったんだ。すっかり忘れとったよ」

言って荷物をがさごそ探り出す。

「……何です?これ…」

そこから取り出された物を指さして、テルゼがレイグリフに(たず)ねる。

「こけし。こけしだよ。見たことがないのか?東宮」

「い、いや、それはもちろん知ってますけど…」

汗ジトでテルゼが答える。

「私が見たところ、値段の割になかなかの良品のようだ。──しかも大小二個セット!どうだ、かわいいだろう?」

「は…はあ。ありがとうございます…」

テルゼが引きつった笑顔でこけしを受け取る。

「私も買ってきたぞ。ほら」

ダレンフィムも何やら包みを抱えている。さし出されたそれを、テルゼが受け取り、開封してみると、出てきたのは…

「…ちょうちんですね」

それは、観光地と呼ばれる地域の至る所で見られる、地名入りの派手な飾りちょうちんであった。

「やっぱり土産といったら、これは外せんだろう?どこへ行って買ってきた物であるかも一目瞭然だ」

ダレンフィムは右手の人指し指をふりつつ、得意げに商品解説をする。

「後でとやかく言われるのは嫌だからな。俺も買ってきてやったぜ」

──エリフォンが手荷物を同様に探り出したところで、

「ま…まさか木彫りのクマ≠カゃあないですよね…?」

こけしとちょうちんを、両手に抱えたテルゼが釘をさす。

「ばっかいえ。もっといいもんだよ──じゃーん!」

エリフォンが取り出したのは、熱海≠ニでかでかと書かれたド派手なペナントであった。

「温度計にしようか、これにしようかさんざん迷ったんだけどな。俺のサイン付だ!もってけドロボー!」

目の前に突き出されたペナントには目もくれず、エリフォンが気が付くと、テルゼはいつのまにか、うなだれ、床に手をついていた。

「…この三バカ魔皇が…」

「ん?どうした?感激のあまり声もでねぇのか?」

さしのべられたエリフォンの手を乱暴に振り払うと、テルゼはいきなり立ち上がった。

彼の周囲の気≠ェ、底知れない力をともなって変化する。

「ふっふっふっふ…どこまでもお約束な展開でうれしいなァ…本当に。伯父様…上…そしてエリフォン兄さん…」

三人の背筋に悪寒が走った。

東宮がこのような状態に陥った時、この先に待っているのは───

「──一斉砲火(ヒュージレイド)!」

ドドドドドッ…グオッ!

テルゼ怒りの対物量戦闘用・無差別攻撃呪文が炸裂した。

「ふう…すっきりした♪セバスティアーン?」

「はいっ!殿下!」

アルヴァトロスが行方不明になってしまったため、とりあえずここまで連行されてきたセバスティアンは、テルゼのはからいで、宮使えをする事になったのである。

「そこの若顔オヤジ二人組を、身ぐるみ剥いで宮殿の外に引きずり出せ。くれぐれも『私達はできています』というプレートを、首から下げさせるのを忘れずに。

それと、残った桃色魔皇は、ダウンタウンのゲイバーでも放り込んでおけ。

──あ、怖がらなくても大丈夫。僕が魔力封じの施術をするからね」

一通り命令し終えると、テルゼは、先程の爆発によって吹っ飛んだ、天井の大穴から見える蒼穹を仰いで

「──僕も旅に出るか…」

その場から足取りも軽く立ち去った。

「おい…ダレフ…東宮は地球に下りてから、日増しに凶暴化していないか…?」

かつてのアルヴァトロス以上に見る影もなく、ズタボロにされたレイグリフが、弱々しい声でダレンフィムに問いかける。

「…私の…教育方針は…間違っていたのであろうか…?」

床にへばりついた惨めな姿で、ダレンフィムが自問する。

「…あいつも流行のキレる子供≠轤オいな…ううう…」

エリフォンが、セバスティアンにずるずると引きずられながら涙ぐんだ。

かくして、三魔皇の慰安旅行は、さらに疲労を増す形で幕を下ろしたのであった。

─────滅。

                                             (おわり)