「えーと、今いるのは蒸気船乗り場の前だから……このコースターの前にあるのが一番近いか」 彼はパスポート券購入の際、共に渡されたパンフレットで、まず、今自分がいる位置を確認し、そこから最も近いドリンクカウンターの場所を探していた。 初めて来る場所なのに加え、何しろ園内は広い。もともと彼はこういう場所があまり好かなかったのだが、彼女の希望を酌んで、この現在最も来場者数の多いテーマパークを、デート場所に選んだのだった。 (誕生日だもんな。しかたないさ) だが、一緒に来る人間が違うと、また楽しさも違うものだった。今日の彼は、このテーマパークでの時間を大いに楽しんでいた。 「さて、さっさとしないと。これから昼飯の場所も決めないとならないし」 広げていたパンフレットを折りたたみ、くるくると筒状に丸めると、彼は小走りでその場所へ向かった。 目的地に到着し、急いで会計を済ませると、彼はコーラの入ったカップを両手に持ち、彼女の待つ噴水前へ駆け出そうとし…… 「ん?なんだ、あれ」 道から少し奥まった所に、パンフレットに記載されていない、小さな建物がひっそりと立っているのを、彼は発見した。入り口らしきものには、「立入禁止」と書かれた札がかけられて、出入りを拒む鎖が下がっている。 外観こそ、他の施設同様凝っているが、中身は何の変哲もないミラーハウスのようだった。 好奇心をつつかれた彼は、ミラーハウスへと近づいて行った。 (いらっしゃい……こっちへ) そこへ魅力的な声が、どこからともなく漂ってきた。気のせいかと思ったが、その声は繰り返し、よりはっきりと彼の頭の中に響いてきた。 (そう……いらっしゃい……) 不思議な力を秘めた、その声に導かれるまま、彼は「立入禁止」の鎖を越え、建物内に入っていった。すでに、頭の中は真っ白で、周囲の状況は全く理解していない。彼の自意識、思考能力は完全に沈黙していた。 (ここよ……ここへ手をついて……) 彼は虚像の群れの中を進んで行き、行き止まりの場所で立ち止まった。 声の指示通り、鏡の中の自分と手を合わせる。 (さあ……いらっしゃい……私の元へ) カップが床へ落ち、カラメル色の炭酸飲料が小さな音を立て、その場に広がった。 ゆっくりと……音も無く、彼の手が、腕が、体が、鏡の中へ吸い寄せられていく。 やがて、つま先が床から離れ、彼は完全にその場から姿を消した。 (これで……五人目) 音声を伴わない、気配だけの哄笑がいつまでもそこに漂っていた。 最上創。須藤智樹。神代忍。香西時宗。岸田幸人─── 彼らは、ここ一週間のうちに、行方不明となった少年達の一部である。 彼らは、ある一点を除くと、全くと言ってよいほど、共通点が存在しなかった。 いずれも、郊外にある人気遊戯施設で失踪しているという以外には。 「いいえ、もう一つ、重要な共通点があるわ」 「……ほう。なんだ、それは?」 「どの子も標準以上の美少年……!」 「いかずゴケが……つまらんことを……」 「ひどいわ。ひどいわ。警視ぃぃ。外道坊主がいじめますぅぅ」 黄昏時の洒落たカフェに、三人の男女の姿がある。 一人は三十歳前後の、聡明な印象を見るものに与える、端正な顔立ちの男性である。海外ブランドのスーツを嫌味なく着こなしている彼の天職が、親方日の丸…もとい、警察官といわれても、ピンとくる者はいないだろう。 もう一人は二十代も後半に入った、淡いラベンダースーツ姿の女性。幼さの残るすねた表情は、けして美しいとはいいがたいが、子猫のような愛らしさがある。 「我々も手は尽くしたのだが…なにしろ手がかりというべきものが、全くといっていいほどないのでね。まるで神隠しだ。 そこで貴方の力をお借りしたいというわけですよ。ルカシュ=ディフラ=バートリ神父」 そして残る最後の一人─── 黒い司祭服姿の彼は、この場において最も目立つ存在であった。歳の頃はせいぜい二十歳すぎ。夏の名残である小麦色の肌の中に、浮き上がるその白い容貌は、一点の狂いも見られない。艶やかな漆黒の髪に、闇夜を照らす月を思わせる、銀灰色の切れ長の瞳。欧州系に属する顔立ちだが、憂いを含んだ……単に眠いだけにも見えるが……表情は、まるで古式ゆかしい日本女性のような色気があった。 はたして、この痩身の美青年が、かの総本山公認の退魔士だというのか? (とてもじゃないけど、信じられないわね) 舞阪蓮美警部補は、心の中で愚痴をこぼす。 (顔はいいけど、口は悪いし、態度デカイし、生活乱れまくりだし……聖職者としては失格よ!) 今日の面会は「どうしても夕方五時過ぎから」というので、言われるままにその時間、彼の住み込む、街はずれの教会へ迎えに出向いた。ところがルカシュは、約束の時間だというのに、いっこうに彼女の前に現れない。なんと彼は懺悔室で、それはそれは気持ちよさそうに、居眠りをこいていたのである。職務怠慢もはなはだしい。 (そもそも、この国の治安を守っている、いい年した大人の私達が、オカルトに頼って捜査ですって?笑っちゃうわよねぇ。笑っちゃお。わっはっはっはっ) 「何を笑っているんだね…君は」 上司の高岡警視が、汗ジトでこちらを見ているのに気がついて、蓮美はあわてて笑いをおさめた。あくまで心の中のつもりが、いつのまにか現実の方でも笑っていたらしい。 その時、彼女は、ルカシュの唇が「アホウ」と動くのを見逃さなかった。 蓮美は極力落ち着いた口調で───しかし額にはハッキリと青スジが浮いていたが───高岡に言った。 「警視。やっぱり私は納得できません。こんな仮面神父に頼むくらいなら、織田○道を呼んだ方がマシです…!」 「しかしだね、舞阪君。これは上からの命令なのだよ。変化する時代に対応して、我々も、より柔軟かつ、多角的な捜査を展開していかなければならないということらしい」 高岡はやんわりと、蓮美の言葉を制する。 「実際、欧米諸国で、犯罪捜査にESPを積極的に導入しているのは、君も知っているはずだ」 しかし、まだその方法は、一般的とは言い難いのも事実であるが。 「ですがねぇ……」 蓮美は、なおも不満げな視線で、黒髪の神父を見やる。 その視線に含まれた殺気をさらりと受け流し、ルカシュはミルクティーを一口味わった後、高岡に訊ねた。 「……で?報酬は?」 至極自然に発せられたその言葉に、蓮美は声を荒げる。 「報酬って……無料奉仕に決まっているでしょ!」 「君に聞いていない」 「──────!」 「そうだな……この程度でどうだろう」 高岡が、一枚の紙片をルカシュに差し出す。それを見て蓮美がうめく。 「話にならんな」 一庶民の蓮美にとっては、かなりの数字が書かれた小切手を、ルカシュはつまらなそうに一瞥すると、高岡の手に返す。 「あんたねぇ〜!なめるのもいい加減にしなさいよっ!業界で五本の指に入る実力者だか天才だか知らないけど、人間としてはボトムラインよっ!」 「…『人間として』ね…」 ルカシュは彼女の言葉に、微苦笑をもらすと、おもむろに席を立ち上がり、 「残念だがこの話なかった事にしてくれ。奉仕作業をするほど、私は暇でないのでね」 「ちょっ……」 「それでは、ごきげんよう」 あっけにとられている二人を残して、青年神父は、早々にカフェを出て行ってしまった。 セレスティアルランド───ここ一週間足らずの内に一二人にものぼる行方不明者を出す、「魔窟」と化してしまった悲劇の巨大遊園地の名である。 郊外のミッション系高校に通う、篠原香苗は、その日、多くの人々でにぎわう、この遊園地の中心にそびえたつ白亜の城の前で、飲み物を買いに行った彼が戻って来るのを、今か今かと待っていた。 「遅いわね……幸人君……」 しかし、三〇分過ぎても、彼は現れなかった。 何かあったのかと思い、何度も携帯電話の方にコールしてみたが、いっこうにつながらない。 「どうしたのかしら……」 結局、日が暮れるまで、彼女は彼を待ち続け、帰宅後、彼が行方不明になった事を知った。 警察も動いているが、それから一週間たった今も、手掛かりすらつかめていないらしい。 「最悪の誕生日になっちゃった」 本当は最高の誕生日になるはずだったのに。 高校入学後に知り合って、つき合い始めてちょうど一年になる。まさか、こんな事になるとは思いもよらなかった。ニュースに出てくる凶悪事件の類というものは、自分達には関係ない遠い世界で起こっているものだと、あの日まで思っていたのだ。 今の自分はただ、彼が戻ってくるのを祈って待つしかない…… 「ここのところ毎日通って来ているみたいだけれど、何をそんなに熱心にお祈りしているのかしら?」 校内にある礼拝堂からの帰り際、香苗は若いシスターに声をかけられた。 「え…あの…シスターはご存知ですか?セレスティアランドの行方不明事件」 突然の質問に、とまどいを隠せない表情で、彼女はおずおずと口を開いた。 それだけで、シスターは全てを察したようだった。 「ええ。もしかして、大切な方が事件に?」 「はい……早く無事に帰ってきてくれるように」 うつむく彼女に、シスターは優しく慰める。 「そうですか…それはお気の毒に……でも大丈夫。きっと貴女の祈りは天に通じますわ」 にっこりと優しい笑みを浮かべる彼女に、香苗もつられるようにして、ぎこちなく微笑む。彼女にそう言われると、心の中の不安が、少しだけ……ほんの少しだけ、軽くなった気がした。 遠ざかっていく少女の、小さな背中を見送りながら、シスター……レジーナは一人つぶやいた。 「そろそろ動いてもよくなくて?ルカシュ=ディフラ=バートリ」 「もう、警察は頼りになりませんわ!何としても事件を解決していただきたいの。……このままでは、亡くなった主人に申し訳が立ちません」 薄暗い部屋の中、幾つものランプの明かりに照らし出されている輪郭は、三十代半ばほどの、品のいい女性のものである。 刑事二人と別れた後、ルカシュは彼の私室で、あらかじめアポの入っていた彼女の相談を受けていた。 部屋に並んでいるのはいずれも、年代物の希少なアンティークばかりである。その中には、小さな家が一件立てられるほどの価値があるものさえあった。多くは仕事の報酬、あるいは、いわく付の品として、格安で手に入れたものだ。 ルカシュは女性の両肩にそっと手を置き、軽く引き寄せると、不安げに揺れるその瞳をじっとのぞき込む。 「心配はいりません……落ち着きなさい」 するとすぐに、興奮していた彼女の様子が、目に見えて落ち着いてくるのがわかる。 その姿勢を保ったまま、神父は甘い、なんとも蟲惑的な声で、女性にささやいた。 「さっそく明日、そちらにうかがいます。それでよろしいですね」 「……お願い致します……」 今や夢み心地の表情で、彼女はルカシュを見つめている。……やがて視線の邂逅は、ルカシュがふいに視線をそらしたことによって中断された。両肩に置かれた手も外される。 「それでは、今日はこれでお引取り下さい」 彼のその一言を合図に、女性ははっとして席を立ち、彼に一礼すると、帰っていった。 「ずいぶんお優しいこと。貴方の女嫌いは筋金入りだと思っていたけれど」 それと入れ替わるように、長いブラウンの髪をなびかせて部屋へ入って来たのは、桜色のパンツスーツ姿の清楚な美女である。 「クライアントは別だ……俺をからかいに来たわけではないだろう?さっさと用件を言え。レジーナ」 先程の女性への態度とは一変し、無愛想に答えるルカシュ。レジーナは肩をすくめて苦笑すると、すすめられるまでもなく、彼の前のソファへ腰掛ける。 「それでは、単刀直入に言わせていただくけれど……セレスティアルランドの件、いかがなさるおつもり?」 「無論、調べさせてもらうさ。たった今、オーナーと契約したばかりだ」 レジーナは入り口ですれ違った、日本人女性を脳裏に呼び戻す。 「今回はいくらで引き受けたの?」 「一千万だ。こんな不景気でも、ある所にはあるんだな」 飄々とした口調で、ルカシュは答えた。 「まあ。他の退魔士が聞いたら、開いた口がふさがらなくてよ。相変わらず法外な料金をまきあげているのねぇ」 普段から笑みを絶やすことのないレジーナと、常に疲れたような無表情のルカシュ、対照的な聖職者二人は、来日以前からの長い付き合いになる。 「何しろ日本は物価が高いからな」 手近にあった、ランプのシェードについたホコリを、布でふき取りながら事も無げに言う彼に、レジーナは目の前のテーブルに置かれていた、繊細な細工が入ったカップを手に取りつぶやいた。 「貴方が聖職者らしく、つつましい生活をしていれば、そんなお金は必要ないはずだけど。なあに?このカップは。マイセン?ミントン? 神父なんて廃業して、骨董屋にでもなったらいかが?」 ルカシュはホコリをふく手を止めると、初めてレジーナの目を見て言った。 「……それが出来ない理由を、お前は知っているはずだが……レジーナ=マウンセル」 一瞬、ルカシュの瞳に怒りの色が灯るのを見て、レジーナの顔から笑顔が消え、おっとりした口調が若干、鋭くなる。 「貴方も、あくまで法王庁の管理下にあるという立場をお忘れなく。バートリ神父様」 『神父』の部分をことさら強調する。そして、再び笑顔におっとりした口調で、 「今回のお仕事、わたくしも同行させていただきます。よろしいですわね?」 「『今回も』だ」 ルカシュは、溜息を一つついた後、面倒くさそうに言った。 「嫌と言ってもどうせついてくるつもりだろう?好きにしろ」 |