この惑星最大の大陸上、〈Eブロック〉と呼ばれる地域に、その巨大構造物群は存在していた。
それらの外観はいかなる超技術を使ったものか、完全な球形を取っており、見た限り窓や出入り口の類は一切見当たらない。その巨大な水晶球を思わせる威容が、陽光を反射しながら常に地上数百メートル以上の空中を浮遊している様相は、この国に初めて訪れた者に対し、常に驚きと只ならぬ感心とを提供し続けている。
はたして、着工当時から中空にて辺りを睥睨していたのか、それともあらかじめ地上で完成させたものを浮上させたのか──どちらにしろ、その維持システムおよび動力の原理は一切不明──とはいえ、例えそこに費やされた技術理論の全てが白日の下にさらされたところで、人間の知識で理解・再現出来るものであるかは、甚だ疑わしい。
それぞれの球の内部には、国の主だった官庁機関が機能しており、外観からは考えられぬほど近代的かつ洗練された設備が整えられたオフィスには、内外から転移装置を介し、常時数千人からなる高級官僚や臣民が出入りしている。
その中心に位置し、空中都市を末端まで統括する最大の水晶球こそ〈世界の頂〉と呼ばれし皇国の中枢──首座魔皇〈全知神〉ダレンフィムの居城である。
これ自体が一つの都市とも言える大宮殿の一画。現在、異界より特別な客人を迎え、国を挙げての舞台準備に忙しい、人々が行きかう空中回廊に、彼はいた。
手には何やら〈ファンシー〉な小包を抱え、とある場所へと向かい急いでいる。そんな彼に、すれ違う人々は皆一様に好奇の視線を投げかけていた。
……いたしかたあるまい。自分のこの姿が、とりたてて気配を消そうと努力しない限り、否応にも人目を引くのは重々承知している。
加えて今、この手の中にある物品ときた。
ピンクの薄紙にフリフリレース、藤色のリボン(造花付)で装飾された乙女街道まっしぐらなそれは、また運搬者とのギャップと相まって、人々の興味をそそるのに充分な様相を呈している。
目を向けるものに罪はない。わかっていはいるが、それにしてもわずらわしい。
(やっかいなものを引き受けてしまった……)
溜息一つ。彼の足取りはさらに速くなった。
なかなか非凡な麗容の持ち主である。年齢はまだ二十歳に届かない。大人と言うには早過ぎる、だからと言ってもう子供でもない……そんな微妙な年頃。しかし、実際にはその年代の少年達の中では明らかに浮いてしまうだろう、極めて老成した雰囲気を彼は持っていた。
野生の獣を彷彿とさせる、強い意志を秘めた色素の薄いアイスブルーの瞳。やや茶色がかった黒髪は短く切りそろえられ、一部の隙無く着込まれた紺色の軍服と共に、彼の几帳面な性格を反映していた。腕に輝くエンブレムに刻まれた階級は〈上佐〉……この年端もいかぬ若者が、ほぼ界外では〈少将〉と同格の高級将校であることを示している。人間界の軍隊ではおおよそ考えられない待遇であるが、実力が全てである魔族社会……特にここの皇立軍では珍しい事ではない。
「あれ?シードじゃないか。こんなところで何をしているんだい?」
背後からかけられた涼やかな声に、若き〈天魔〉の将校──シード=クェーサーは振り返った。
そこに立っていたのは、一見少女と見まごう優しい面差しをした美少年だった。
年の頃は一四、五歳ほど。オフホワイトのブラウスに黒ベスト、同色のスラックスという装いがこの上なく似合っている。きめの細かい白い肌。豪奢な金髪に縁取られた彫りの深い上品な顔立ち。その済んだ紫紺の瞳に見つめられて、心ときめかない女性はまずいないだろう。
彼は愛想良く微笑みながら、シードの方へと近づいて来た。
「テルゼ……」
シードの口をついて出た名は、少年の〈人〉としての俗名で、この世界において聞こえの良い〈天魔〉としての御名は、セイクリッド=ダーウェル=アフラロイドという。
しかしどちらにしろ、彼が名前で呼ばれる場面はほとんどない。世界元首たる〈全知神〉ダレンフィム=ソルフィス=アフラロイド唯一無二の嫡子である彼を、一般に人々は敬愛、あるいは畏怖を込めて、〈東宮〉もしくはただ〈殿下〉と呼ぶ。
シードはそんな彼を敬称略で呼ぶ事を許された、数少ない例外の一人であった。
「丁度良かった。これを」
言ってシードは少年の手をさっと取り上げ、その手にぽんと持っていた小包を置いた。
「……なんだい?これは」
目の前の人物には不似合いすぎる代物に、テルゼは怪訝な顔をする。
「差し入れだ。ただし、あいつが作ったものだから、味は保証できん」
「へぇ。彼女が?」
事務的な口調でそう告げられて、テルゼはさっそく、中身を確認するため封を切った。
甘く香ばしい香りが鼻腔に漂ってくる。
「美味しそうなクッキーじゃないか。ふふ、ありがとう」
「お前にそう言われれば、あいつも誇らしいことだろう。
……それじゃ俺はこれで」
愛想の欠片も無く、そそくさと立ち去ろうとした軍服姿の長身に、
「シード」
テルゼはすかさず「まった」をかけた。
「つれないな。
せっかく久しぶりに会ったんだ。少しぐらい話していけよ」
「しかし俺の使命は差し入れを届ける事であり、それはつつがなく果たされたわけであって……」
「どうせ楽屋まで来るつもりだったんだろう?寄ってけって」
もっともらしい理由を立て板に水の滑らかさで並べようとする相手にぴしゃりと言ってのけると、ふいに少年の無邪気に輝いていたつぶらな瞳はすっと窄まった。
「……それに、話したい事があるんじゃなかったのか?僕に」
それはシードがよく見慣れた、友人のもう一つの姿、もう一つの表情への変化だった。
紫紺の瞳に見据えられて、顔は相変わらず見事なまでの無表情を保ったままであったが、シードは内心どきりとする。
わずかの間、逡巡の色を瞳にちらつかせてから、彼は軽く溜息をつき、
「お見通し、だな」
観念にしたように言った。
こういった洞察力の鋭さは、さすが〈全知神〉の御子、と言ったところか。保護欲を誘う愛らしい笑顔の下に、在りし日には〈卓上の名将〉と呼ばれた、したたかな策士の影が見え隠れする。この甘やかな仮面に惑わされ、闇に葬られる事となった者の名を、彼は何人も知っていた。
しかし──こと最近、彼の言動や表情にどこか年相応の〈幼さ〉が感じられるようになったのは、自分の気のせいであろうか?演技にしては自然すぎる……微妙な感情のさじ加減。ニュアンスの変化。ほとんどの者が気にも留めないであろう、わずかな雰囲気の違いを、この将校は決して見逃していなかった。彼もまた、その友人だけあって、相当な観察眼の持ち主らしい。
「舞台の本番まで暇でね。ちょうど話し相手が欲しかったところなんだ。
さ、いこう」
「……了解した」
更に増えた視線を感じながら、シードは華奢な少年と連れ立って歩き始めた。
得体の知れない連中ばかりだ……楽屋の並ぶ廊下を進みながら、シードは無意識の内に表情を険しくした。
不穏な空気を背負って和刀を手にした男が徘徊し、ボーダーの全身タイツにセーラー服という、奇妙奇天烈な出で立ちの少女が、ぴょんぴょん元気に跳ねている。その横を黒髪の少年が必死の形相で駆けていき、長い金髪をたなびかせた長身の女性が、ドレッシーなワンピースを片手に後を追う。
(自分の記憶がたしかなら今日ここで開催されるのは演奏会であったはずだが?)
彼にはどうしても目の前の面子と音楽とを思考の中で結びつける事が出来なかった……おそらく他の人間が彼らを見てもそう感じたに違いないが。
「これでは怪しい奴がいてもわからんな……もっとも、これほどの戦力が終結している〈聖都〉(ばしょ)で、騒ぎを起こす馬鹿もいないと思うが」
だいいち、ここはあの〈全知神〉のお膝元である。不法侵入者や少しでもおかしな動きを見せる者があれば、すぐにでも鋭敏極まりない彼の知覚に引っかかってしまうはずだ。が。
「馬鹿はいるものさ」
すかさずそう返してくるテルゼに、
「まるで騒ぎが起こるのを期待しているみたいだな」
やや呆れた声でシード。
「イベントは楽しい方がいいじゃないか」
すました顔で不謹慎な事を言う。その言葉は『たとえどんな事態に見舞われようとも、自分には収拾出来る』という余裕の表れか。次代の皇たる彼の実力を熟知しているシードとしては二の句もない。
しかし、だ。他の者がどう思っているかどうかは知らないが、この皇子様は実際口で言うほど好戦的な性質(たち)ではないのだ。むしろ誰よりも他愛無い日常を愛し、平和を望んでやまない友の心の内もまた、シードはよく理解していた。
本来、戦場に立つべき人間ではないのだろう。自分自身出来れば立っていて欲しくない。そう思う。だが、理不尽な命令と不条理な死が支配する世界は常に彼の存在を求めていた。
そして彼は乞われ続ける限り、その中でも最も過酷な火薬の庭に立ち続ける事だろう。ゆずれない大切なものたちを守る為に。その痛々しい程の優しさ故に。
ほどなく二人はテルゼの楽屋へ到着した。
白壁に囲まれた部屋の中はがらんとしていて、彼らの他に人の姿はない。
シードは手近にあった椅子を引き寄せ、音もなく座った。見る者によっては、こんな何気ない動作から彼の実力をうかがい知ることができただろう。
テルゼが備え付けのポットからカップに茶を注ぎ、彼に手渡す。中身は番茶だ。変なところでケチっているな……とカップを口に運びながらシードは思った。
「彼女は元気?」
自らも番茶をすすりつつ、シードの対面に腰を下ろしたテルゼが穏やかに尋ねる。
「……必要以上にな。
ところで、あれはお前が弾くのか?」
壁に立てかけられたアコースティックギターを一瞥し、シードは当り障りのない話題から切り出した。
「ああ。今日の演目の一つで弾き語りをするんだよ」
「裁縫から城攻めまで……本当に何でもこなすな、お前は。俺には真似できん」
「器用貧乏なだけだよ」
感心した声を上げる友人に、テルゼは苦笑して答えた。
「しかしわからんな……」
「何がだい?」
「今日の企画の意図だ。ここ最近、〈全知神〉の御意には腑に落ちない点が多すぎる」
カップをテーブルの上に置くと、シードは話の本題に入ることにした。
「お前のことに関してもだ。
……もう三年にもなるぞ。お前が〈こちら〉と〈地球〉を行き来するようになってから。
当初設定された作戦遂行期間は、こちらの標準時間で一年。それがどういう理由からか、ずるずる延びて今日に至っている。
いや、そもそもお前をこの任務に従事させること自体おかしかったんだ」
普段は不言実行の比類なきサンプルとして知られている寡黙な上佐は、いつになく饒舌だった。
「これは明らかに人材の無駄遣いであり、適当な人事とは言い難い。
……ところが不思議なことに、誰もこの事項に関して言及しようとしない。故に俺は、直接〈御戦神〉に奏聞した。しかし、ここでも納得のいく回答を得ることはできなかった。
上層部におけるお前の立場が微妙なのは、百も承知している。だが、いくらなんでも限度というものがあるのではないか?」
至高神の威光の下、この世の中でおよそ考えうる、あらゆる恩恵を一身に受けて育ったかに見える、目の前の少年……しかし、彼が今日まで歩んできたのは、愛情とは無縁の修羅の道だ。
人と神の間に生を受けた不義の子。〈全知〉の力を持たないできそこない。
生まれてすぐその存在を否定された彼は、本来皇太子の身分では考えられないような苦労を重ねて生きてきた。
秀でた才能を認められ、十代で戦隊長にまで昇り詰めたシードであるが、所詮長い伝統と歴史を持つ巨大機構内では、若輩な一軍人でしかない。
〈旧世界〉の頃より皇家に仕えてきた有力貴族および士族達で構成された、元老院や各省庁中枢部などにおける確執や陰謀など、新参の彼には知る由もなかった。
ただ、その一端を垣間見る機会は幾度と無くあった。
たまたま訪れていた〈法皇〉の宮殿で耳にした、貴族達の会話を思い出す。
「……そういえば、〈東宮〉が例の遠征から帰還されたらしいな」
つと、彼らの話題に友のことが上がったので、シードは思わず聞き耳を立てた。
「ああ、そんな話を聞きましたね」
「何でも精神体(ほんたい)にまでおよぶ重傷を負ったとか……〈医聖〉が担ぎ出されたというから、かなり危険な状態なのだろう」
「おや、〈鏖殺人形(ブレイク・マシーン)〉らしくもない」
「ここのところ御多忙様子であられたからな……その影響であろう。
まあ、これで使い物にならなくなるのなら、殿下もそれまでの存在であったということだな」
「そうですね。たとえどんなに優秀な兵器といえど、戦果をあげられなくなれば、廃棄されるのは当然。
〈全知神〉には今度こそ、欠陥のない御世継ぎを創造していただかないと……」
彼らの首を跳ね飛ばしたくなる衝動を、シードは必死に抑えねばならなかった。
──〈兵器〉が平和など望むものか。失われる命と営みに思いを馳せたりするものか。
部下を……自分を庇って傷を負うものか……
もっともそれから数ヵ月後、彼らは件の〈東宮〉によって消されることになったが。
あの忌まわしい〈事件〉によって。
どうして彼は、これほどまでに酷使されなければならないのだろう?否定され続けなければならないのだろう?
同じ指揮官という立場から、〈全知神〉がたとえ魂を分けた存在であっても、〈東宮〉をひいきすることが許されないのは理解できる。種族や身分にとらわれることなく、万事公平な判断を下す王であるからこそ、彼に対する部下や臣民の信望は厚いのであるから。
それを踏まえた上でシードは思う。特異な我が子に対する周囲の目を考え、ひいきしないことに徹するあまり、〈全知神〉は最低限の配慮すら忘れてしまっているのではないか……と。
父としての親愛は示さず、上司としての恩情すらない。これでは救いがなさ過ぎる。
「長期的戦略を考慮しても、これ以上効果も疑わしい任務によってお前を消耗させ続けるのならば、〈全知神〉は総帥としての監督責任を放棄したと判断せざるを得ない。
お前には閣下や最高評議会を糾弾する権利は充分に……」
「まってくれ、シード」
沈黙を守っていたテルゼが、やんわりと彼の言葉を遮った。
「確かに前期一年間は、〈上〉の勅令による強制的なものだった。だが、残り二年は僕自身の意思によるものだ。政治的な駆け引きとは関係ない」
「何だって……?」
その言葉にシードは驚きを禁じえなかった。テルゼはそんな彼を尻目に話を続ける。
「〈本国〉における公務に支障をきたさないことを条件に、僕は〈地球〉滞在期間の延長を申請し、その許可を得た。
わがままを通してもらっているんだ。仕事がきついのは自業自得だよ」
「それは本当なのか?」
「君に嘘をついてどうする」
彼の口調も眼差しも真剣そのものだ。だからこそシードは信じられない。
「僕も君と同様、三年前勅令を受けた時は、〈上〉の意図を理解することはできなかった。流刑も同然だ、と正直恨んだりもした。
でもようやく、上があの時何を言いたかったのか……何を悟ってほしかったのか、わかった気がするよ」
ここでふと彼は自嘲の笑みを浮かべると、
「本当はもっと早くに気がついても良かったんだが……僕も素直じゃなかったんだな」
一息つき、再び表情を引き締めると言った。
「そして、これを確信へと変えるためにも、僕はまだあの場所にいる必要がある。あの場所を守る義務があるんだ」
「………」
|