──そう、彼を今の姿に貶めたのは、この私。

──彼から全てを奪ったのは、この私なのだ。

「んっ……あ……っ!」

 さしもの青年も、貫かれる衝撃に長身を仰け反らせる。きつく閉じた目蓋から、また一筋透明な雫が零れ落ちた。
 最初の頃は最奥に到るぎりぎりまで逆らい続けたものだが、今は心身が消耗しきっているのか、身動ぎすらされないまま、あっさりと受け入れられた。

「ほぅら、もう入ってしまいましたよ」
 わざと相手の羞恥に訴えるよう、形のいい顎を撫でてやる。

「あれほどお楽しみでしたのに、まだ物足りなかったんですか?」
「………………っ」
「……黙っているあたり、図星のようですね。
 よろしい。そんなにお好きなら、気が済むまでして差し上げます」
「………………!」
 
 冷え冷えした視線が無防備な裸身を射ると、加減など全く無い早駆けが始まり、抱え上げる四肢の持ち主から、声にならない悲鳴が上がった。
 直接的な感触から湧き上がるものよりも、むしろ満たされる征服欲と歪んだ愛情とがもたらす至福に耽溺し、神父は目を細める。

 ──奪ったもののかわりに、目の眩む様な狂気を捧げよう。この世の地獄を見せ続けよう。目を閉じて、耳を塞いでも無駄な事。何度だって打ち込んで、何度だって刻み付けて分からせてやる。貴方は私のものだと。私だけのものだと──
 
 ──けっして、あの女のものなどではない。

 危うい熱を帯びた感情が、ますます行為を激しくする。
 受け入れる身にとっては、既に限界を超えた身体に重ねられる快楽は苦痛でしかない。まるで煉獄で炙られるように容赦なく理不尽に追い立てられて、青年は半ば意識を飛ばしかけている。

「は……以前は腰を進めるのも一苦労でしたが……随分と素直になったものですね。
 これも皆さんのご指導の賜物ですか?」
 
 口ではあくまでも余裕をもって言ってやると、また品の無い笑い声がどっと起こった。

「それにしても、身代金の払えない捕虜ってのは、哀れなもんだな」
「まったくだ。でもこんな別嬪さんを好き放題に出来るなら、金を積まれても手放したくなくなるかもしれねぇぜ?」

 幸せな奴等だと。
 呑気に笑いあう男達を横目で見ながら、神父は思った。

 彼等は知らないのだ。自分達が弄んだ相手が、多くの武勲によって称えられるフランス屈指の勇将であり、国王すら上回る途方も無い富の持ち主であるという事を。
 普通の人間など、その気になれば、片腕一つ振るだけで、簡単に屠れる事を。
 
 今はなすすべも無く自分に組み敷かれている青年だが、本来ならば、捕虜となってすら丁重に扱われ、彼等が触れるどころか、まともに顔を合わせる事も出来ないような貴人だった。
 しかし、現実はこうして最下層の者達の中に放り込まれて、それ以下の奴隷のような扱いを受けている。
 そしてそれを咎める者も、ましてや彼をここから救い出そうとする者もいない。

 ──お可哀想に。貴方はこの世界には過ぎた存在だったのですよ。
 
 彼が愛する少女と命がけで玉座へと導いた王は、事が済むとあっさりと彼等を見捨てた。
 王に取り入るのは簡単だった。
 元々猜疑心の塊のようだったその男は、こちらがほんの少しつついてやっただけで、内に抱えていた闇を噴出させた。

 奇跡の少女が現れるより以前から、王はこの完璧過ぎる騎士を疎ましく思っていた。
 
 その偽りの無い忠誠を、揺るぎの無い信念を、曇りの無い美貌を。
 青年が気負う事無く持ち合わせる全てが気に入らず、鷹揚な振る舞いの中に、激しい嫉妬を隠してきたのだ。
 それが二人の間に少女の存在を間に挟む事で、ついに爆発した。
 
 また厚顔にも私の愛する者を奪っていくというならば、貴様の全てを奪ってやろう。

 とうとう憎らしかった騎士をかつての自分以上に惨めな敗残者へと陥れた王の姿は、暗い優越感に満ち満ちて、それこそランスで戴冠した時以上の歓喜に溢れていた。

 人間とはかくも脆く、醜いものだ。
 だというのに。

「………………」

 正気を揺さ振られ苦しげな息を吐きながらも、いつしか澄んだ碧玉がこちらを見つめている。
 肌を合わせる者の内心を読み取るかのように、恐ろしく静かで、底知れない深い色を湛えて。

 

 神父がまだ清らかだった彼をその毒牙で堕とした時、向けられて震えるほどの歓喜を覚えた、あの煮え滾るような憎悪や絶望といった負の感情の翳りは、いつしか身体を重ねる度、その透徹として穏やかな翡翠色をした眼差しから消え失せていた。

 ──ある者は、ほんの少し魔術を閃かせただけで、家族すら差し出して、平伏した。
 ──またある者は、屍の山へと自らが加えられるのを恐れるあまり、己の全てを閉ざしてしまった。

 狂態に到る末路は、誰も彼もが拍子抜けするようなあっけ無さだった。

 これまで、どれだけの裏切りを与えただろうか。どれだけの辱めを与えただろうか。
 いつ終わるともしれない蛮行の嵐に曝されながら、それでもなお、屈しようとしない彼の強さは──これを支えるものは、何なのか。

 今、神父の瞳に映っているのは、裏切られ辱められ、暴力と色欲に飼い慣らされる無力な虜囚などではなく。
 ただ、在るがままの現実を受け止めながらも、遥か先に広がる光の国を信じ、道なき荒野を踏みしめて往かんとする正しき騎士の姿だった。

 もう、彼を彼たらしめていたものは、何一つ残ってはいないはず。
 この期に及んで、何故。
 弛まぬ悪意の中、人の道に留まり続ける事に、何の意味がある?

「……貴方のそういう我慢強いところは、戦場では美徳だと思いますけれど……強情が過ぎるのも考え物です。
 こういう時は、少しくらい甘えてみせるものですよ」

 でないと、抱いている方は自信を無くしてしまうでしょう?と、揶揄する言葉。
 それは、かつて無く歯ごたえのある相手を見出した己の幸運に対する悦びと、また同時に、およそ考えうる数々の手管をもってしても消す事が叶わない騎士の魂の輝きへの苛立ちとがない交ぜになった、神父の偽りざる本音だった。

 ──果たして一体何が余計で、何が足りないのか。

『まだ分からないの?お前にあの方は穢せないわ。絶対にね』

 ふいに、今最も思い出したくない女の声が──表情が、神父の脳裏に蘇った。
 騎士が注ぐ無償の愛情を、さも当然のような顔をして受け取り、彼の心を独占していたあの女。どこまでも恥知らずな、聖女を気取った魔女。

『あの方はとても強い人……そして優しい人。
 世界の無情に惑い苦しむ人達を放っておけずに、あえて彼等と共に……いいえ、それ以上に厳しい運命の中に生きる事を選んだのよ。
 己の弱さを認めず、ただ仮初の力を盾にして、超越者を気取るお前とは違うわ』

 捕らえられていた己の立場も弁えず、女は不適な顔で言い放ったものだった。
 
『お前がどんな姑息な手であの方を縛ろうとしても、無駄な事。
 どんな難行でもあの方の歩みを止め、行く道を塞ぐ事など出来はしない。
 あの方にとっては、お前も私も所詮、通過点に過ぎないのだから──』

 そして、迷いなど微塵も感じさせない御使いの声は、こう断言したのだった。

『──あの方はいずれ〈摂理〉の極致へと到る存在。
 代行者の私を越えて、更に高みへと還る〈神の意思を告げる者〉。
 愚かな魔術師。最初からお前にどうこうされるような方ではないのよ。
 今はまだ小さく感じられる光でも、私達の騎士は、必ずやお前を討ち滅ぼすでしょう』

 その時の女が見せた苛烈な瞳と、まるで哀れむような気配さえ感じさせる、目の前の青年の冷然とした瞳が、神父の中で重なった。
ぞくり。と。
一瞬、神父が遥か昔に捨て去った、人が持つ原初の頃から持つ感情が、背筋を這い上がった。

 ──気に入らない。

 体感とは切り離された、刺激中枢を伝達する不愉快極まりない感情の波に、歪められた唇から低い声が漏れる。

 ──気に入らない!
 ──気に入らない!!
 ──気に入らない!!!

 どこまで鬱陶しい女め。戯言として受け流すにしても、あまりに小賢しい事ばかり口走るものだから、晒し者にして火刑台へと送ってやったが……まったくもって笑わせる。
 
 女よ。お前も、そしてお前の騎士も、大層なのは口ばかりで、私に何一つ及ばないではないか。
 既にお前はいわれのない罪によって処刑され、私の手からお前を救おうとした騎士は、敗れて捨てられ虜の身。
 元々彼の身体は、その力と引き換えに、常人よりも堕落しやすく創り変えられている。お前よりもずっと私に近いところに立っているのだ。今はまだ人として留まっていても、その心が綻ぶのはもはや時間の問題だろう。

 また仮に彼の心が最期まで折れなかったとしても、その後、脅威なり得る要素を考え付く方がよほど難しい。
 伝承・伝説に謳われる半神ではあるまいし、研鑽した魔術師に剣を持って抗する事など不可能だ。
 そんなに都合よく、力の差は覆らない。
 もし、それが可能だとすれば──

「──なるほど、それは奇跡と呼んで差し支えないのかもしれません。
 私も貴方を真に英雄と認めて差し上げましょう。
 ですが──」

 ゆっくりと焦らすように腰を戻した後、一気に深く衝き入れて、軽く息を吐いたのに合わせ、実ることの無い種子を腹の中に撒き散らす。
 そして繋がったまま、とうとう力尽きて気を失った身体を別人のような優しい手つきで抱き上げると、耳元でそっと囁いた。

「──奇跡は、簡単に起きないからこそ奇跡なのですよ。
 貴方は別に、そんなものを起こす必要はありません。
 ただ、貴方が信じるものがまやかしだと、救いなどありはしないのだと、理解する日が訪れるのを恐れ慄きながら、さえずり続けなさい──私の夜啼鳥」

 翼を失った鳥は、飼い慣らされる他はないのだ。
 それを教え込む時間は充分ある。また過程を楽しむ余裕もある。
 何より、彼が愛した女はもう、いない。
 
「貴方に神ではなく、私の祝福を。騎士殿」
 
 呪いを言祝いで、神父はようやく身体を放す。だが。

「……さて、次はどんな趣向で楽しませてもらいましょうか?」

 彼を前にして、熱が衰える事などありはしない。

 夜明けはまだ当分先だ。それまで存分に愛し尽くしてやろうではないか。
 己の内で廻り騒ぐ嗜虐の血の赴くままに、僧衣を纏った悪魔は、時が許す限り、男達と背徳的な秘蹟に興じるのだった。