──それは、まるで巨匠の手による一服の絵画にも似た、心うち震わせる光景だった。

 祝賀の喧騒から切り離された聖堂の中庭にただ二人、盛装した男女が静かに勝利の喜びを分かち合っている。
 互いにまだ若く、何より美しい。特に男──騎士の正装をした青年の一線期す容姿には、思わず感嘆の溜息が漏れた。

 ──まさかこれほどのものとは。

 戦場にあっても白さを失わない肌。雲間から差し込む柔らかな光が、その栄達を祝福するかのように、艶やかな長い黒髪を照らし出している。その髪は日の光に透けると、微妙な色合いで青みを帯びて輝き、青年の美貌をより神秘的なものにしていた。
 切れ長の涼しい目元に収まっている碧い瞳はさながら宝石だ。しかもただの宝石とは違い、内に秘められた強い意思の力によって自ら魅了の光を放つ、世にも稀有なる宝玉である。

 今日は様子を伺うだけで済ませるつもりであったはずが、彼はあっさりと気を変えていた。

 連れ立って歩いていた司祭や侍従達が制止するのも聞かず、不躾にも睦み合う二人の間に割り込む。
 最も、取り分け気配に敏感であるはずの青年の方は、近付く前からこちらの視線に気付いていたようであったが。

「ジル=ド=レイ閣下ですね?」
 麗姿を間近にして、彼の興奮はいよいよ最高潮に達していた。
「そうだが……貴方は?」
 どことなく自分の場違いな雰囲気を感じ取ったのか、あるいは人並み外れた美貌から受ける印象とは裏腹に、彼にも想人との逢瀬に水を注されて苛立つような青臭い感情が存在したのか……いずれにしろ、少女に向けていた時よりも微量の険が含まれた視線を投げかけてくれる。

 しかし、それしきの事でたじろぐくらいなら、始めから声などかけてはいない。

「ああ……噂には聞いていましたが、それ以上だ。
 おっと失礼、申し遅れました。
 私はフランソワーズ=プレラーティ。ローマ法王庁から参りました神父です」
 気後れする事なく彼は人懐こい笑顔を浮かべて応えた。

 

「……神父?随分とお若い神父様でいらっしゃるのですね?」
 だが、自らの立場を明かした事が逆に青年の不信感をより増したようだった。頭ごなしに追い払ったりはしないものの、 やや寄せた柳眉に隠し切れない苛立ちや嫌悪が現れている。
 まぁ無理もなかろう。いくらひいき目で見たところで、二十歳をやっと超えるか超えないかの自分が、司祭という職を担う者には到底見えそうもない事は、己自身が一番よく知っている。
「ええ、私は少々特別な使命を教皇様より授かっておりまして……神父としては、はみ出し者なのですよ。
 しかしながら、閣下。かく言う貴方もどうして、随分とお若いではありませんか。
 今年で25歳になられると聞いておりましたが……正直、とてもそのお歳には見えません。
 そうですね……端から窺う限りでは、せいぜいそちらの聖女殿と同じ位の年頃でしょうか。
 まるで……」
 ちらり、とそれまで視界から締め出していた救世主を豪語する少女を見遣ると、彼は意味ありげに一度言葉を切ってから、

「……まるで少年のまま時を留めてしまわれたかのようですね」

 言って若い騎士の全身を遠慮のない視線で撫で回すその表情は、今にも舌なめずりすらしそうな歪んだ喜悦に満ちている。
「……貴公」
 流石のこれには騎士も気分を害したか、彼に向ける視線が急速に鋭くなった。
 ──あるいは、図星を指されて動揺したのかもしれない。
 一言物言いたげに形の良い唇が動きかけたが、
「──いい加減にしないか!プレラーティ!」
 それより早く、行状を見兼ねた他の司祭達が口を出してきた。興を削がれた彼の不満気な表情を気にとめる事もなく、連れの司祭はフランス屈指と言われる大貴族の機嫌をとる事に必死になっている。
「元帥殿。この度はご無礼の程、どうかお許しを。こやつは神父とは名ばかりの変わり者でして、我々もほとほと手を焼いているのですよ」
「は?その変わり者に貴方達は今までどれだけ救われてきたかと思って──」
「黙れ。もう行くぞ。
 それではご歓談のところ、失礼致しました」


 問題児がこれ以上騒ぎを起こさぬよう、無理矢理会話を切り上げると、ほとんど引きずり出すような勢いで、彼らは『救国の英雄』達の前から退散を決め込んだ。


 その気になれば、今自分を戒める細腕の一本や二本、どうとでもなったが……彼も考え直して、ここは大人しく去る事にする。
 楽しみは後にとっておくものだ。
「まあいい……閣下、貴方とはいずれ再びお会いすることもあるでしょう。その時まで、どうぞお元気で」
 うっそりとした微笑みを浮かべ、密やかに彼は誓ったのだった。

 魔女を愛する悪魔の騎士──我らが〈神の御剣〉の怨敵よ。貴方の全て、奪いつくしてさしあげましょう。血の一滴、骨の一片にいたるまで。と。

「一体なんだったんだ……まったく」
 一団が去ると、ジルは大仰に溜息をつき、知らず張り詰めていた表情を緩め、少女へ向き直る。
「また妙な連中に絡まれないうちに、早く戻って休みましょう。ジャンヌ。
 ……ジャンヌ?」
 呼びかけにも応えず、彼の聖女は、今も蒼ざめた顔でじっと司祭達が去った方向を凝視したまま、ぽつりと言葉を零した。
「ジル……あの方には……決して心を許さないで下さい」
「え?」
「とても……とても嫌な予感がするの」
 まるで今にも自分が死んでしまいそうな様子で少女が訴えるものだから、面食らったものの、あくまでも平静さを保ったまま、勤めてジルは気軽に返した。
「確かに懇意を深めたいと思う相手ではありませんでしたな。
 ええ。気をつける事に致しましょう」

 しかし、この時はまだ、どれだけ自分が危険な相手と出会ってしまったのか、彼は真に理解出来ていなかった。
 ましてや、それが原因で大切な少女を失う事になるなど……夢にも思うはずもなく。