「なんだってアンタがここにいるのよっ!」 事件現場であるセレスティアルランドへ捜査に来ていた蓮美は、そこで天敵の姿を発見した。 憎き暴言怠惰神父・ルカシュ=ディフラ=バートリは、悠然と、夜のとばりが降りつつある園内を、美人シスターと歩いていた。 「あら、ごきげんよう。蓮美さん」 初めて会った時と同様の上品な笑顔で、シスター・レジーナが彼女に挨拶する。対して、ルカシュは毎度お馴染みの仏頂面である。 「なんだ、君も来ていたのか。くれぐれも私の仕事の邪魔はしないでくれたまえ」 一言、そっけなく言って立ち去ろうとする彼に、蓮美は喰ってかかる。 「それはこっちのセリフ。部外者に捜査をひっかき回されたくないの。おわかり?神父様。あ〜んだ〜すた〜ン?」 「私は部外者ではない。昨日あの後、正式にここのオーナーに依頼を受けた」 「……あんた、私達の方を断っておいて、いけしゃあしゃあと……」 鼻息荒い蓮美に、ルカシュは涼しい声で、 「同じ内容の仕事なら、より条件のいい方を選んで当然だろう」 「なんですって。こういう人なんですの。ごめんなさいね、蓮美さん。お互いがんばりましょう」 にこにこしながら、レジーナが蓮美をなだめる。……しかし、そういう彼女自身、蓮美の反応を楽しんでいる節がある。 「きぃぃ〜、ここは彼女に免じて引いてあげるけど……後で憶えてなさいよ!」 「心配無用だ。少なくとも君より記憶力には自信がある」 ルカシュはどこまでも可愛げのない男だった。初めて会った時、少しでもときめいてしまった自分が悲しい。 (ばかばかばか!自分のオバカ!ああ、神様、こんな奴が貴方の使徒でいいんですか?なんか間違ってませんか?) 蓮美は、ヒールで素焼きタイルをかっかと鳴らしながら、二人から離れて行った。そんな彼女を見送って、二人もまた、歩き始める。 「あんまり、子供をからかうものではありませんわよ」 くすくす笑いながら、レジーナが傍らの青年を見上げると、ルカシュも小さく微笑んでいた。 「しかたがないだろう。俺もまだ子供だからな……」 午後九時五四分。 閉園時間六分前になっても、ルカシュとレジーナはそこを離れる様子はなかった。 「やはり、ここが、一番霊気が強いですわね」 「ああ。間違いないだろう───ここが目標の根城らしい」 そこは園内の外れに位置する閉鎖中のミラーハウスだった。中はちょっとした迷路になっている、特に珍しくもない代物である。だが──── 「おそらく、今は霊的な影響で、設計当初よりはるかに複雑な、時空の迷宮と化しているだろうな」 現在、少し離れた位置から建物を観察しながら、特に面白くもなさそうにルカシュは言葉を続ける。 「故に、不用意に中へ入って目標を探すのは、得策でない」 「さっきから二人共、動物園のクマみたいにぐるぐると…何やってんの?」 ひょっこりと、何の前触れもなく、二人の間に蓮美が割って入ってくる。 「警察はもう、とっくに引き上げたんじゃなかったのか?」 振り返り、彼女がフライドポテトをほおばっているのを確認すると、ルカシュはげんなりした。 「私は仕事熱心なの。あんた達がまだ残ってるっていうのに、大した成果もなく、のこのこ帰れないわよ」 「単にヒマなだけだろう。この歳になって夜の予定が無いとは……悲しい女だな」 「ほっといてちょうだい!」 「蓮美さん」 レジーナが蓮美の前へ一歩出る。 「申し訳ありませんが、ここから先は私達にまかせて、お帰り下さいませ」 「で……でも」 「お帰り下さい」 穏やかだが、有無を言わさぬ雰囲気に、蓮美はわずかにたじろぐ。 「率直に言おう。これから先、君がいると足でまといになる」 ルカシュはにこりともせず、揺らぐ事の無い事実を述べた。 「力の無い方がここにいると危険なんですの」 「警官になった時から危険は覚悟してるわよ。何よ、悪霊にでもとり憑かれるっていうの?」 蓮美は挑発的な態度を見せ、二人を交互に凝視した。 「それだったら、祓えば済むことだ。もちろん、料金はいただくが」 「だったら……」 「蓮美」 その真剣な口調に驚いて、ルカシュと目を合わせた直後、蓮美は急速に意識が遠のいていくのを感じた。 (へ……なに?どうなっているの?) すうっと体の力が抜けて、足元がまるで、雲の上に立っているかのように頼りなくなる。 「大人しく帰りたまえ。わかったな」 「……はい」 焦点のあっていない、とろんとした目で、蓮美はルカシュに命じられるまま、きびすを返し、ふらふらと出口の方向へ向かっていく。 レジーナが、その様子に感嘆の溜息をつく。 「便利ねぇ……その〈念視〉能力。今度違反キップを切られそうになったら、お願いしようかしら」 「そんなくだらん事に使えるか」 目元を指でおさえながら、ルカシュはあっさり突っぱねた。 「あら、立派な人助けでしょう?それに、移動手段が無くなって、一番困るのはどなたかしら? 別に貴方が、夏の炎天下の中でも、元気に現場へ歩いていけるというなら、いっこうにわたくしは構わないけれど」 邪気の無い──いや、それがかえって恐い──笑みが、端正な横顔をのぞき込む。 「………前向きに考えておこう」 一瞬、彼の見事なポーカーフェイスがわずかに揺らいだ。レジーナは満足げにうんうん頷き、携えていた大ぶりのジュラルミンケースを下ろす。 「今日は新月ですわね」 ルカシュが夜天を仰ぐ。常人より遥かに優れた彼の視力は、静かに自己主張する、星達の姿を捉えた。 その間に、しゃがみ込んだレジーナがケースを開く。中に入っていたのは、一丁の無骨なリボルバー式の拳銃と、弾薬、数種の呪符などなど……… 「わたくしの準備は済みましたが、貴方はいかがなされますの?」 物品の中から、今日の気分に最も合ったものを選び出すと、レジーナはルカシュの方を見上げた。 「今夜は調子がいい。余計なものは持たないことにする」 軽く肩を回しながら、ルカシュは答えた。 「それより、もう園内には誰も残っていないな?」 「人払いは完璧なはずですわ」 時計は一〇時一八分をまわった。一般客はもちろんのこと、スタッフも返されたはずであった。 ケースを閉じると、レジーナは立ち上がり、ルカシュの横に並んだ。彼女は、ミラーハウスを注視する彼から、ある種の〈気〉が流れ始めたのを感じ取る。 慣れない者では、とても耐えられそうもない圧力が、彼女の全身を叩く。 (確かに絶好調のようですわね……) 額にうっすら汗をかきながら、レジーナはルカシュと一歩距離をとった。 ルカシュが一歩、そしてまた一歩、ゆっくりと目標に向かって進み出す。 その度に、〈気〉の圧力はさらに増していく。常人であれば、精神の均衡を失いかねない殺気が、いまや彼の周囲を渦巻いていた。 「さあ出て来い……俺はお前より飢えている」 ローンがたっぷり残る、真新しい愛車のハンドルを握ったところで、蓮美は我にかえり、驚いて車内から飛び出した。 「なによこれ!どうしたっていうのよ!」 ここまでの過程が全く思い出せない。ただ、自分があの黒髪の神父の目を見た途端、おかしくなったのだけは確信していた。 「あんの性悪神父ぅぅ〜」 握り締めた拳を怒りに震わせると、蓮美はもと来た道をかけ出した。 これから自分に起こる事態など、露知らず…… ルカシュがミラーハウスまで、彼の歩幅であと十歩に迫った時、目標に変化が起こった。 放出されるルカシュの〈気〉に呼応するように、建物から禍々しい気が、夜の大気に吹き出した。 「レジーナ、来るぞ……!」 鋭く背後に控えるシスターに言い放つと、ルカシュは駈けだし、一気に加速すると、地を蹴った。 とても強い力で踏み切ったようには見えなかったが、彼の体は信じられないような勢いで前方へ跳びだし、黒衣が宙に舞った。 その進行方向に、突如、空間がぶれ、影が生まれる。 「はああっ!」 裂帛の気合と共に、ルカシュが影へと突進する。 バジイイイイッ! 不可視の力が空中でぶつかり合い、スパークする音が、十メートル以上離れたレジーナの耳にまで届いた。 刹那の衝突後、ルカシュはその反動を利用して、大きく後退し、ふわりと着地した。彼の動きは、まるで月面上で行われているかのように、一Gの束縛を感じさせない。 前方を見据えるその目からは、昼間の気だるげな様子は完全に消えていた。今は獲物を前にした肉食獣のごとく、凶暴なまでの生命力に溢れている。 「私の姿を捕捉するなんて……素晴らしく生意気な坊やね」 賞賛とも侮蔑ともいえない、彼に対する評価は、確かに空気の震動として、鼓膜を振るわせ、扇情的な響きをもたらした。 彼の前に現れた影は、今や美しい少女の姿をとっていた。 闇夜に映える美貌は、ルカシュに匹敵する色艶を持っており、軽く天然のカールがかかったプラチナブロンドは、優雅に胸元へ垂れかかっている。ボディラインを隠すかのように、白いエプロンドレスを身に纏っている姿は、妖精の可憐さを持っていた。 そして、小首を傾げてルカシュを見る瞳は……燃え立つような炎の色をしていた。 「せっかく新天地での生活にも慣れ始めたところだったのに……もう総本山の息がかかった者が嗅ぎつけて来たのね。 でも、若く美しいのがせめてもの慰めだわ。生命の灯火が消えかけている老爺では、食事としても、下僕としてもいただけないもの」 言って嫣然と微笑む。彼女は自分を抹殺にやって来た、眉目秀麗な神父をいたく気に入った様子だった。 「これから私が、貴女をさらなる新天地へとご案内いたしましょう。スモール・レディ……」 ルカシュが慇懃に一礼し、ゆっくり顔を上げる。そこには不敵な笑みがあった。 「貴女にふさわしい、地獄という名の新天地へね」 言葉が終わると同時に一発の銃声が響き渡った。 ルカシュに全ての注意を傾けていた少女の姿をした妖魔へ、レジーナが聖銀の散弾を撃ち込んだのである。 「女に用はないわ!」 弾が炸裂する寸前に、その場を跳躍した妖魔は、空中を滑走し、シスターのもとへ高速移動した。 その間にも、レジーナは立て続けに三発の散弾を発砲する。それを妖魔は空中をジグザグ走行して回避、あるいは霊圧で弾きとばした。 「っく…………!」 レジーナが、懐中から空気を唸らして取り出したのは、鋼線で編み上げた物騒な鞭だった。それを巧みに操り、敵に打ちつける。 「無駄よ。そんなもの」 レジーナは素早く撤退行動に出た。ほんの一瞬前まで彼女がいた場所を、少女の繊細な指先から伸びた、カギ爪がかすめる。 「なんて無体なヤツなのっ!」 「違うわ。貴女が弱すぎるだけなのよ。お嬢さん!」 姿だけは年下の少女の妖魔が、踊るようにレジーナに爪で斬りかかる。必死の形相のレジーナに対して、こちらは余裕綽々である。 鞭のようにしなった腕が、彼女の胸元を貫き通さんと突き出される。 その腕を、駆けつけたルカシュが片手で押さえ込み、捩じり上げた。 少女の体が空中で回転し、地面に叩きつけられる。初めて少女が悲鳴を上げた。 ルカシュはさらに、ためらうことなく、その胸に思い切り足を振り下ろす。ボキリ…と肋骨が折れる鈍い音がした。 「お前は下がっていろ」 彼はそうパートナーに命じた後、冷酷な目で獲物を見下ろした。 「嗜好性が似ているからな、ひょっとしたら……と思ったが、やはり見込み違いだったよ。まあ、吸血鬼としては中の上といったところだな。 さて、お前が襲った者達はどうした?」 苦痛に美貌を歪ませ、妖魔──吸血鬼の少女は自らの敗北に当惑を隠せなかった。 「くっ……何故?たかが坊主一人に私が……」 「わからないか?それじゃあ減点だな。お前は中の下だ。 それより俺の質問に答えてもらおうか?この際屍でも構わんから被害者を出せ」 さらに強く胸を圧迫させられ、吸血鬼は苦悶の声と共に答えをしぼり出す 「……彼らは……私の新しい〈城〉に……呼び寄せ……今は眠らせてあるわ……」 「〈城〉?お前の根城はここではないのか?」 「あんな狭苦しい…小屋で…暮らせるものですか……この〈庭〉の中心に……見えるでしょう?」 レジーナが、園内の中心部────そこにあるテーマパークのシンボルともいえる白いシャトーに視線を合わせた。 「あそこなのね……」 「それだけでは不十分だ。彼らがいる部屋まで案内しろ」 ルカシュが吸血鬼の首を締め上げ、彼女の足が地面から離れたその時。 「あんた……何やってるの……!」 思いもよらない人物が、その場に現れた。 |